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上空から見た八甲田山系

(文:塩田 春香)

“神成大尉は、二一〇人の兵隊を凍死させたのは自分の責任であるから自分は自殺する、舌を噛んで自殺すると。・・・”

八甲田山 消された真実
作者:伊藤 薫
出版社:山と渓谷社
発売日:2018-01-17

 ベッドの上で正座して話す老齢の男性――その人は、世界最大級の山岳遭難事故の最後の生存者・小原中三郎元伍長であった。

 1902年(明治35年)1月。日露戦争を前に陸軍は寒冷地での行軍を調査・訓練するため、青森の陸軍歩兵第五聯(れん)隊と弘前の第三十一聯隊が豪雪の八甲田を異なるルートで越えることになる。結果的に三十一聯隊は八甲田を越え帰還したが、五聯隊は山中で遭難。210人あまりの将兵のうち、199人もが凍死した。世に言う「八甲田山雪中行軍遭難事故」である。

 これをもとに書かれた新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』は、大ベストセラーになった。映画化された「八甲田山」で北大路欣也演じる第五聯隊の神成(役名は神田)大尉が猛吹雪のなか、こう叫ぶシーンをご存知の方も多かろう。

“天はわれらを見放した”

 小原元伍長への聞き取りが行われたのは、1964(昭和39)年。翌年に控えた陸上自衛隊による慰霊の八甲田演習に向けて、青森駐屯地の第五普通科連隊渡辺一等陸尉が箱根の国立療養所に氏を訪ねたのである。雪中行軍で負った凍傷のため両足首から下と親指以外の両手指を失った小原元伍長も、85歳になっていた。62年間の沈黙を破り語られたその悲惨さは、想像を絶するものだった。

“あっちでバタリ、こっちでバタリ、もう足の踏み場もないほど倒れたんです。(中略)今度私か、今度私かと思いますね”

“胸までの雪を泳ぐみたいにかき分けて歩きました・・・手がこごえてボタンをはずすことが出来ず大小便はたれ流しで、まず小便にぬれた足の下の方が凍り、それからだんだんシリの方が凍ってくる”