世界の自動車産業はロシアに依存する・・・。ロシアの自動車産業の実態を知る方々にとってはオイオイと言いたくなるフレーズであろう。
ロシアの自動車産業は、量的にも質的にも日本とは比べものにならないほど劣る。自動車生産数は150万台程度、その中には輸入した部品を組立てるだけのノックダウン生産も少なくない。一方、日本は年間850万台もの自動車を生産している。
ロシア製の自動車を見ると、車体の溶接が不適切で左右非対称であったり、プラスチック部品に成型不良が見えていたりという状態である。ネット上では、ロシア人からも酷評されている。
以前よりはだいぶ改善が進み、ロシアの自動車メーカー、アフトヴァースが製造販売する「LADA」の最新車種ではロシア国内での評判が上がってきたとは言え、質的には日本ではあり得ないレベルである。
結果として、ロシアの自動車は世界市場では全く存在感はなく、ロシアの自動車生産は、少数の例外を除き外資系企業によってなされていたり、外資系企業のブランドでなされていたりする。
LADAの最新機種が評判を上げているのも日産ルノーグループの支援の結果である。客観的に見て、ロシアの自動車産業こそが海外の自動車産業に依存していると見るのが正しい。
しかし、それでもロシアなくして、日本の自動車産業も世界の自動車産業も成り立たないのである。しかも、その依存先は一見すると自動車産業とは全く結びつかないあのスターリンの遺産なのである。
スターリンの遺産の鉱山
スターリンと言えば恐怖の独裁者として有名である。世界三大殺戮者とか呼ばれたりもする。
その犠牲者と言えば1000万人とも、2000万人とも言われる。どの数字が正しいにせよ正確に人数が分からないほどおびただしい人々が犠牲になったことは間違いない。
1930年代、スターリンの恐怖政治全盛期には命までは奪われなかった人も数多く強制収容所に放り込まれ、文字通り死ぬほどこき使われていた。
強制重労働と言えば鉱山。少なからぬ収容所が鉱山の近くに作られた。北極に近いロシアの中でも北の果てのコルィマの金山の収容所は特に過酷だったことで有名であるが、それに勝るとも劣らないほど北極に近く、寒そうな場所にある鉱山が今回の主役である。
1935年、北緯70度近い極北の地ノリリスクで鉱山開発と精錬工場の建設が始まった。スターリン時代らしく、その担い手は極めて非自発的に集められた人々である。