台湾で現在も保存されている戦前の日本人住宅

南三陸病院・復興の力

 2011年3月11日、東日本大震災が起きた。被災地支援を今も続けている。宮城県南三陸町にも何度か支援に入った。元気づけのための講演会も行った。

 震災当時、町には公立志津川病院があった。海岸沿いだったため、5階建ての建物の4階部分まで津波が押し寄せ、看護師、患者、合わせて74人が犠牲となった。

 2015年12月、町の高台に新しく「南三陸病院」が建てられた。三県の被災地の中で、いち早く新病院が建ち上がったのだ。

 調べてみると、建設費約56億円のうち、約4割に当たる22億2000万円を台湾の中華民国紅十字会総会(台湾赤十字)が支出していた。台湾の方々からのこれほど多くの義援金が寄せられていることに驚いた。

 そんな折、台湾の「遠見雑誌」から声がかかった。日本で言うと「日経ビジネス」のような経済誌である。

 31周年記念イベント「全国必修不老学国際シンポジウム」にメインスピーカーとして来てほしいという。さらに、台湾大王製紙からも講演を依頼された。ぼくがCM出演をしている介護オムツ「アテント」が台湾進出しているのだ。

 8月初め、ぼくは台湾へ渡った。講演会は、台北大学など3か所で行われ、いずれの講演会場も人であふれた。

 ぼくの著書は5冊が中国語に訳されている。中でも、「1%の力」(河出書房新書)と、人気絵本作家の長谷川義史さんとコラボした震災の絵本「ほうれんそうはないています」(ポプラ社)は台湾でも好評だ。

自分のことのように心が痛んだ

 今回の台湾訪問の最大の目的は、なぜあれほど多額の震災支援をしてくれたのかを知ることだった。

 台湾は、中国との複雑な関係があり、正式に国としては認められていない。人口的にみると日本の5分の1の小さな国である。なぜ200億円もの支援をしてくれたのか、不思議でならなかった。

南三陸の志津川病院の近く(2011年5月)
国際シンポジウムで超高齢化を経済、保険、健康という視点で講演