モスルの象徴が破壊された
イラク第2の都市、モスルには様々な呼び名が存在する。
例えば、「ウンム=ラビーアイン(双春の母)」などは美しい呼び名の1つである。イラクでも比較的標高が高いところに位置するモスルは春のような過ごしやすい気候が年に2度訪れるところからそう名づけられた。
ほかにも「ハドバーゥ(湾曲した)」という呼び名がある。これはモスルを東西に分けて流れるチグリス川がぐにゃぐにゃと湾曲しているためそう呼ばれるようなった。また異説によるとモスル旧市街地にある大ヌーリー・モスクが擁する「ハドバーゥの塔(斜塔)」にちなんでそう呼ばれるようになったとも言われている。
このハドバーゥの塔はその名の通り東に向かってやや湾曲する斜塔だ。西からの風に数世紀にわたって晒されたためそうなったとされている。
その特徴的な姿は現地通貨の1万ディナール紙幣(約900円)にも印刷されており、モスル市民だけでなく、全イラク国民にとっても大変馴染み深いものだ。
また12世紀に建造されたこのモスクの中で唯一当時の姿をとどめている重要な歴史的建造物でもある。そういうわけで、この斜塔はまさにモスルの象徴だった。しかし、この塔が断食月の真っ只中である6月21日に破壊され、跡形もなくなってしまった。
モスル奪還作戦成功の象徴を失った
この斜塔を擁する大ヌーリー・モスクこそ、奪還作戦を遂行するイラク軍にとっての最重要目的地であり、イラク軍はこのモスクの場所を明瞭に示してくれる斜塔を目印に進軍してきた。
なぜなら3年前の7月、奇しくも同じ断食月の最中、突如として出現したアブー・バクル・アル=バグダーディーはこのモスクでカリフ国家の樹立を宣言したからだ。
と言うよりもむしろ、彼がその姿を現した唯一の場所がこのモスクであったため、バグダーディーが現在ここにいようが、いまいが、ここをおいて外にモスル奪還作戦成功の象徴となり得る建物が存在しないからである。
このモスクが目的地としていかに重要かは、奪還作戦の進捗具合が「このモスクまでどれだけ接近したか」という指標によって計られていたことからも分かる。例えば「3月、モスクまで500メートルに迫る 」、「6月、200メートルにまで迫る 」と、戦況が報道されているように・・・。