2011年3月11日、東日本大震災が起きた。被災地支援を今も続けている。宮城県南三陸町にも何度か支援に入った。元気づけのための講演会も行った。震災当時、町には公立志津川病院があった。海岸沿いだったため、5階建ての建物の4階部分まで津波が押し寄せ、看護師、患者、合わせて74人が犠牲となった。
日本が好きな台湾人:震災で最大支援をしてくれた理由
統治時代の恨みはある、しかしそれを前向きに転換する「日本精神」
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