「民主党政権にとって勝負所だが、大惨敗すると思う」(読売新聞12月8日付)という小沢一郎の予言が的中した。
12月12日に投開票された茨城県議会議員一般選挙(茨城県議選)。過去最多の24人(公認23、推薦1)を擁立した菅民主党に、茨城県民は「NO!」を突きつけた。
幹事長の岡田克也は公示後2度も現地入りしてテコ入れをしたが、有権者は踊らず、4分の3の候補者が討ち死に、民主党は現有議席6に1議席の上積みもできない惨敗を喫したのである(下の表)。
「そうなれば地方が火を噴く」(小沢一郎、同新聞)のは確実。民主党は党中央から地方組織まで、一触即発の危機に追い込まれているのだ。
1年半前、自民王国・茨城の全選挙区と比例区(2)と合わせて9人の衆議院議員を生み出し、政権交代を実現した民主党の勢いはどこに行ってしまったのだろう。
民主党が3人の衆院議員を抱えながら、県会の1議席も獲得できなかった取手市選挙区に焦点を当てて、「民主党メルトダウン(炉心溶融)」の原因を検証してみる(文中敬称略)。
民主党議員がみんなの党から出馬して当選
「県議選、初挑戦ですが、当選を果たすことができたことを報告します。取手市と利根町を選挙区としていますが、取手市を地盤とする民主党衆議院議員が3人もいる土地柄です。ここで団体、組合などの支援を求めず、草の根選挙を行ってきました(略)選挙戦、ライバルであった民主党候補は最下位でした(以下略)」
取手市選挙区から出馬し、3位で当選した「みんなの党」細谷典男が自らのメルマガにこう書いている(当選・落選を問わず、この種の結果報告は公職選挙法178条「選挙期日後のあいさつ行為の制限」第2項に抵触するが、その判断は警察に任せる)。