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中国を訪れて、眼鏡工場を見学したジャロック(福井県福井市)の武澤清則社長は、不安を胸に抱えて帰国することになった。それは1990年代末のことだった。

 ジャロックは当時、眼鏡フレームの製造機械を作り、販売していた。眼鏡フレームの製造は福井県の伝統的な地場産業である。90年代半ばから中国の工場が台頭し、福井の眼鏡製造業は空洞化しつつあった。だが、ジャロックは中国の工場向けの販売が好調で、業績は決して悪くなかった。

 そんな折に武澤社長は中国の工場を訪れた。工場では、低賃金の労働者がジャロックの機械を使って大量に眼鏡フレームを作っていた。武澤社長はそれを目にして、次のような思いにとらわれた。「今後、低価格の眼鏡の製造は日本から中国に完全に移ってしまうだろう。その時、中国の工場で作るのはロットの大きい安い眼鏡だ。安い眼鏡は、結局、安い機械で作ることになる。眼鏡製造用の機械は否応なく低価格化競争に巻き込まれていくに違いない」

ジャロックの武澤清則社長(右)。左は製造一課 技術開発の杉本伸哉氏。「自動車業界の品質管理の厳しさには面食らった」(杉本氏)

 帰国した武澤社長は会社の将来について考え続けた。「確かに今の業績は悪くない。でもこれから先、眼鏡産業が凋落していくのは目に見えている。このまま眼鏡をやり続けていていいのか」──。同時に武澤社長は自分に言い聞かせた。「経営者の仕事とは何か。それは長期的な視点で、会社にとって最良の道を選択することだ」。2000年、武澤社長は社員に向けてこう宣言した。「これからは自動車業界の仕事をやっていく」

 眼鏡業界から自動車業界への進出を果たしたジャロックは、新分野での事業を見事に成功させた。その成功のカギは一体何だったのか。

「成長分野に自社の強みを特化していく」

 福井県には、伝統的な地場産業から他産業へと転身を遂げ、成功した企業がすでにいくつか存在していた。例えば、眼鏡フレームのプリント技術を生かして電子業界、携帯電話業界に参入した秀峰。または繊維業界から土木建設業界に転身した前田工繊といった企業である。武澤社長は「そうした先輩たちを見習って他分野へ進出した」のだという。

ジャロック
〒919-0321
福井県福井市下河北町22-1

 その決断の裏には、武澤社長なりの確固とした経営戦略があった。それは「成長分野に自社の強みを特化していく」というものだ。

 「日本の中小企業、特に製造業は非常に厳しい状況にある。ましてやうちは場所が福井ですからね。物流にコストはかかるし、時間もかかる。ビジネスを行っていくのはなおさら大変です。では我々のような中小企業が福井で生き抜いていくためにはどうすればいいか。となると、特化戦略しかないんですよ」

 ジャロックの強みは、NC(コンピュータ数値制御)を取り入れたスウェージング(CNCスウェージング)の技術である。武澤社長はどこにも負けないこの技術を、成長分野である自動車業界で生かそうと考えたのだ。