イスラエルがゴラン高原の武装勢力を攻撃、ロケット弾に報復

ゴラン高原のイスラエル占領地にあるイスラエル入植地エルロムで、シリア側から発射され山腹に着弾したロケット弾の炎を見るイスラエル軍兵士(2015年6月28日撮影)〔AFPBB News

 毎週水曜日にお送りしている徹底解説自衛隊。これまで、自衛隊が誕生した背景、国内での災害派遣での活動、また海外PKO活動に参加するようになるまでを時系列に沿って詳しく見てきた(前回はこちら http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49643)。

 今回はメディアでほとんど報じられることがなかった海外PKOにおける自衛隊の役割と成果について解説する。前回解説したカンボジア、モザンビーク、ルワンダに続き、今回はゴラン高原での業務からスーダンまでを振り返る。

4.ゴラン高原国際平和協力業務(1996年2月~2013年1月)

 歴史に根差したユダヤとアラブとの近年における対立は、第2次世界大戦後の1948年のイスラエルと周辺アラブ諸国との戦争、いわゆる第1次中東戦争として出現し、その後も第2次(1956.10.29~1956.11.6)、第3次(1967.6.5~1967.6.10)と戦争と停戦を繰り返した。

 エジプトおよびシリア軍の奇襲攻撃(1973年10月6日)により始まった第4次中東戦争は、緒戦におけるエジプト・シリア軍の勝利からイスラエルが次第に優位に立つ状況に至り、国連安保理が停戦工作を進めた結果、双方は国連の停戦決議(第338号1973.10.22)を受けて停戦が成立した。

 これに続いて国連安保理は、停戦監視軍の創設を決議(第340号1973.10.25)し、イスラエルとシリアの国境地帯に位置するゴラン高原に両国軍の停戦と兵力引き離し合意の履行状況の監視を任務とする「国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)」を展開させた。

 日本は長い間この国連PKO(平和維持活動)に参加してこなかったが、1996年(平成8年)2月に参加を決定し、司令部要員および輸送部隊としてゴラン高原国連兵力引き離し監視軍へ自衛隊を派遣した。

 この派遣は長期間続いた。しかし、近年におけるシリア騒乱による周辺地域の情勢の悪化に伴い、派遣開始から17年目の2012年(平成24年)12月をもって活動を終了させた。

 司令部要員は広報並びに輸送の調整・企画を担当し、輸送部隊は後方支援大隊の中にあって兵力引き離し監視軍の活動に必要な物資などの輸送のほか、道路補修、除雪作業などを担当した。

 司令部要員は2人で1年ごとに交代し、輸送部隊は43人(最終部隊のみ44人)から成り、半年ごとに交代した。実に、第1次隊から第34次隊まで続けられた。

 そのほか航空自衛隊は、司令部要員および輸送部隊並びに必要物資・資材や食料品などの日本から現地への航空輸送を定期的に実施した。なお、派遣された自衛隊は、任務遂行の的確さ並びに規律や礼儀正しさなど、UNDOF司令官から高く評価された。

5.東ティモール避難民救援国際平和協力業務(1999年11月~同年12月)

 1999年(平成11年)8月、東ティモールのインドネシア共和国との関係に関する民意確認のための直接投票の結果を受けて、インドネシア共和国との統合維持を求める武装組織が、独立を求める住民に対する殺害等の犯罪から始まった紛争により大量の避難民が生じ、大規模で深刻な人道問題となった。

 これに対して国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が国際社会に対して、難民救済のための資金援助および物資協力を要請した。我が国は多額の資金援助とともに必要物資の提供を実施した。

 さらにUNHCRから、現地における救援物資の空輸要請があり、我が国はこれを受けて東ティモール避難民救援国際平和協力業務を実施することとし、東ティモール避難民国際平和協力隊を設置(平成11年11月22日)し、現地における救援物資輸送業務を実施した。

 航空自衛隊は「C-130H」輸送機と113人からなる東ティモール避難民救援空輸隊を編成し、ジャワ島のスラバヤから1300キロ離れたティモール島のクパン(西ティモール)までの間の航空輸送業務を実施した。