自衛隊創設の経緯
昭和20(1945)年8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受諾し、これによりマッカーサー元帥を最高司令官とする連合国最高司令部(以下GHQ)による日本占領統治が始められた。
GHQにより進められた様々な占領政策のなか、マッカーサー元帥は「日本国憲法草案」の作成をGHQ民生局に命じ(昭和21年2月3日)、民生局は9日間で「日本国憲法草案」を作成、マッカーサー元帥の承認を得たのち昭和21年2月13日に日本政府に交付した。
政府はGHQ草案を基礎にした「日本国憲法改正草案」を作成して議会に提出し、所要の審議を経たのち可決成立させ、昭和22年5月3日に「日本国憲法」が施行された。
昭和25(1950)年6月に始まった朝鮮戦争に、日本に駐留する米軍および英連邦諸国軍の中からも朝鮮に派遣されたことから国内治安の維持が手薄となったため、GHQは警察予備隊の創設を日本政府に要求し、政府は昭和25年8月10日、警察予備隊を発足させた。
その後、昭和27(1952)年4月28日に「対日講和条約」並びに「日米安全保障条約」が発効したことにより、我が国は主権を回復した。その3か月後、警察予備隊と海上警備隊とを合体させて保安隊を発足させた。
その後、「日米相互防衛援助協定」を締結して批准(1954.5.1)し、「防衛庁設置法」並びに「自衛隊法」が成立し、昭和29(1954)年7月1日に施行されたことに伴い保安隊を改め陸・海・空自衛隊並びに防衛庁が発足するに至った。
憲法の制約の下でこのような経緯を経て創設された自衛隊は、警察力を補完する実力を持った行政組織の1つであって、武力行使を目的とする軍隊として創設されたものではない。言うまでもなく、憲法に国防や自衛隊についての規定は一切ない。
このような特殊な存在である自衛隊が、創設以来今日まで行ってきた行動を概観し、その実績をベースに、自衛隊とはいったい何なのか、そのうえで憲法および自衛隊を今後どうするのか、ということについて考える素材を提供する。
朝鮮戦争と日本
昭和25年(1950年)6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて韓国に侵攻したことによって朝鮮戦争が勃発した。
国連は北朝鮮を非難し軍事行動の停止と撤退を求める決議(1950.6.27)を行ったが、北朝鮮軍はソウルを占拠するなど南進をやめなかった。安保理決議に基づき、米国をはじめとする非共産圏国家は国連軍を編成して朝鮮に派遣し本格的な戦争となった。
やがて中国も志願兵から成る中国人民志願軍および中国人民解放軍をもって朝鮮戦争に参戦した。