しかし、これは駅の位置付けを「単なる通過点」から「人が集う場所」へと大胆に転換することによって、駅を身近な存在に感じてもらい、鉄道の利用者を増やそうという試みなのだ。

 「では、列車の発着情報以外に、駅が利用者に提供すると喜ばれるのは何の情報か分かりますか?」

 そう尋ねながら、松尾さんが次の写真をクリックすると、スクリーンに日本の駅の改札付近では必ず見掛ける駅周辺の地図の写真が映し出された。

 「地図があれば、列車を降りた後、目的地までどう歩けばいいか分かりやすいですね」と説明する松尾さんの優しい声に、「なるほど」というように何人かがうなずく。

 しかし、松尾さんがこの写真で一番伝えたいことは、ほかにあった。当然のことながら、周辺地図は駅によって異なるため、大量に制作することはできない。各駅に設置したり、開発状況に応じて更新していくためには、かなりのコストがかかるのが現実だ。

 「どうしたらいいと思いますか?」。そう問い掛けながら、先ほどの地図の下の部分を拡大していくと、地図に記載されたレストランやデパートのロゴがずらりと印刷されているのがアップになった。

 食い入るようにスクリーンに見入る研修員たち。そんな彼らに、松尾さんは「企業は地図に広告を出すことで鉄道利用者にアピールできるし、鉄道会社にとっては顧客に喜んでもらえるため、win-winだと言えます」、「広告収入は、鉄道会社にとって、運賃収入と並ぶ重要な収入です。最近はヤンゴン駅でも携帯電話やカップラーメンの看板を見掛けるようになりましたが、ぜひ他の駅でも空きスペースがあれば積極的に広告を掲示し、利用者により良いサービスを提供するための費用を捻出して下さい」と語り掛けた。

日本らしい近代化支援

8月に行われた講義でも熱弁をふるう松尾さん(=JIC提供)

 ミャンマーの大地を走る鉄道を近代化させるべく海を渡り、MR上層部や実務者らと日々顔を合わせ、現地の実情を踏まえつつノウハウや技術を伝える日本人技術者たち。

 その横顔は、まるで幕末から明治初期にかけて欧米諸国から来日し、産官学さまざまな分野で活躍した「お雇い外国人」のようだ。

駅のあるべき姿や乗務員によるサービスについて行われたグループ討議の様子(同上)

 こうした外国人の雇用は、明治維新以降、「富国強兵」、「殖産興業」のスローガンの下で本格化し、1898年までに英国、米国、ドイツ、フランスなどから来日した数千人とも言われる先生や技術者を通じて最先端の科学や技術、知識、諸制度が移入され、日本の近代化が実現したと言われている。

 鉄道分野も例外ではない。新橋~横浜間の鉄道建設を指揮したエドモンド・モレル(英国人技術者)や、京都~神戸間の鉄道建設を指揮したリチャード・ヴァイカーズ・ボイル(同)、「機関車の父」との異名を持つリチャード・トレビシック(同)、あるいは北海道の幌内炭鉱につながる幌内鉄道の建設を指揮したジョセフ・U・クローフォード(米国人技術者)――。