8月は旧暦(7月)でいう、「ゴーストマンス」にあたる。“鬼月”と言われ、身寄りのない飢えた死者の霊魂(飢鬼=ハングリーゴースト)が地獄の門から地上に舞い降り、悪さをするとされ、古の時代からそう語り継がれているからだ。
不幸や不穏な出来事が起こりやすく、中華圏の人が最も恐れ、嫌がる月だ。結婚式など大きな行事は避けられ、新しい物を買ったり、行ったりすることも“ご法度”。
一方で、霊魂が悪さをしないよう、お金にみせかけた紙幣、様々な“貢物”を用意し、「1年で最も景気の悪い月、最も縁起の悪い月」をなんとか乗り切ろうと、願ってやまないのだそうだ。
日本人にはピンとこないが、その言い伝えを今も信じてやまない超近代都市国家がある。国民の約75%が中国系のシンガポールだ。
富の象徴を覆う灰色の煙
「皮肉にも今年はシンガポールにとって、忘れたくても忘れられない鬼月となってしまった」(シンガポール人の友人)としみじみ嘆く。
その“霊魂”の正体は、まさしく今、国全体で猛威を奮う“ジカ・フィーバー”。そして、そのハングリーゴーストの怪しい気配はその直前から、国内に立ち込めていた。
ジカ熱の不穏な風が巻き起こる前、まずは「ヘイズ」が立ち込めた。
インドネシアなどで実施される焼き畑による煙害を指すが、シンガポールに流れ込み、ガソリンのような匂いとともに富の象徴であるマリーナベイサンズをすっぽり、灰色のベールに包んだ。
東京23区ほどの小さな都市国家は、瞬く間に、薄暗い闇の中にスッポリ、“消えてしまった”。
ヘイズにはここ何十年も悩まされ続けているが、健康被害だけでなく、経済的打撃も大きい。「GDP(国内総生産)を0.1~0.4%押し下げる厄介なもの」(シンガポールのエコノミスト)で、8月に入ってからひどく、この時期、シンガポールにとって頭痛の種だ。
さらに、不穏な出来事は続く。8月21日開催された毎年恒例の首相による独立記念集会演説の途中で前代未聞、リー・シェンロン首相が失神し、卒倒してしまった。
同演説は、シンガポールでは首相が国内の政冶、経済、さらには外交問題について長時間演説する最も重要な国内行事の1つ。全国生中継されたテレビに映ったのは、演説途中で体を震わせ、だんだんと言葉を失い、そしてよろけるようにして、画面から消えた首相だった。