算数・数学の自由研究の意義
コンクール3年間の総数3万5811作品が教えてくれることはあまりにも多くあります。
算数・数学がもつ「多様性」に生徒が気づくことです。コンクールに参加することで、学校の授業で展開される算数・数学の限界を補うことができます。
しょせん、試験や受験のためだけの算数・数学の先に見える景色はテストの点数です。そう思っている生徒がコンクールに参加することで、点数以外の算数・数学の景色に気づいてもらえるならば、参加者すべてにとって大きな意義があるといえます。
コンクールを通して、自分の身近にある問題を自ら見つけ、それを解決したいと思い、自分の力で問題解決のチャレンジをした者だけが実感できる数学をする喜びを得ることができます。
ここに、算数・数学の「自由」研究の自由が活きてきます。自由には次の3つの意味があります。(1)自分の思うままにふるまうこと。(2)他からの束縛・強制をうけないこと。(3)他からの強制ではなく、自分の責任で行うこと。
したがって、自由を扱う本人には実力が必要です。その実力が伴ってはじめて自由を使いこなすことができます。
自由研究を実践することで、自信という実力を手にできれば、それは豊かな人生を送る原動力になるはずです。賞がとれなかったとしても、自信という実りを手にすることができます。
「数学の本質はその自由さにある」(数学者カントール)
このようなコンクールが成立し上手く機能するには応募した生徒数以上にサポートする大人が必要です。
私は受賞式で受賞者本人の保護者に、作品制作にどんな協力をしたのかをきいてみると、実にうまいサポートをしていることがわかりました。
主体はあくまでも生徒であり、保護者はあくまでもサポートすることに徹するスタンスの取り方です。研究を作品に仕上げるには大人のサポートが大きな役割を果たします。
学校現場でコンクールへの参加を推薦し、研究にアドバイスを与える先生方をはじめ、全国で一次審査を行う現場の先生方の存在も大きいです。
年々増える応募作品の審査には相当なマンパワーが必要とされますが、それがこれだけ全国で機能していることはこれまでのわが国の算数・数学教育の歩みがあったからにほかならなりません。その意味では、わが国の算数・数学教育の土台が試されたのがコンクールであったといえるでしょう。
叶わぬ夢
中央審査委員を3年間行ってきたことで、私には夢が生まれました。先に紹介したように小学校1年生の応募は私にとって衝撃でした。
この事実は私が行っている数学講演会での事実とも符合します。それは、小学校全校生徒対象に行う数学講演会で小学校1年生が一番盛り上がる風景です。
それも全国どこの小学校で同じ光景が見られます。その経験から、私は近年、小学校低学年を対象とした数学書籍を多数つくってきました。
講演と書籍における私の基本コンセプトは「親子でたのしむ」です。親が子供に算数・数学を勉強しろというのではなく、一緒に算数・数学を楽しむことができる書籍、講演会をつくってきました。
コンクールの中でも「親子でたのしむ」が実践されています。昔、算数・数学が苦手だった大人も、子供と一緒にコンクールに参加することで数学する楽しみを知ることができます。
コンクールは賞のためにというよりも参加することに意義があります。願わくばすべての応募作品に点数をつけるのではなく講評を行いたいのです。それが叶わぬならばせめて小学校1年生に限り、応募者全員に中央審査委員として私が直接、講評できないだろうか、と。
現実的にどう実行するという問題はさておき、私の中ではそれほどに小学校1年生を大切にしたい思いがあります。
数学大国だからこそ生まれた塩野直道記念「算数・数学の自由研究」作品コンクール。塩野直道が夢見た「数理思想の開発」という理想。その理想が、日本中の人々の手によって実現していく未来が今ここにあります。