(文:村上 浩)
ダーウィン進化論は、信じられないほど少ない仮定で、驚くほど多くのことを説明してしまう。なにしろ、100万種以上といわれるほど多様で、かつその1つ1つが複雑な機能を備えている生命が、どのように実現されているかを誰もが理解できるように示してみせたのだから、驚異という他ない。
またダーウィン進化論は、DNAがどのように遺伝情報を継承しているかというミクロな視点から、種が集団としてどのように発展するかというマクロな世界までを考えるための共通土台を提供することで、あらゆるレベルでの生物への理解を深めるために欠かせない存在となっている。
それでは、進化の果てに生み出されたヒトが作り出す文化について、我々はどれほど理解しているだろう。
文化がどのように生まれ、伝達され、発展もしくは衰退するのか、そしてその過程に何らかの法則性があるのか、共通の理解は得られていない。
さらに、文化を解き明かそうとする様々なレベルの社会科学的試み、ヒトの脳内での情報処理過程を明らかにしようとする脳神経科学から、集団生活を送る人々の振る舞いを探求する民俗学、より大きな視点から経時的変遷を記述しようとする歴史学まで、をまとめあげる枠組みも持ち合わせていない。
文化理解において、わたしたちはまだダーウィン以前の段階にいるのだろうか。