報道はイタリア物理学界はノーベル委員会の決定に大いに不服であると伝えていた。そんな中で、南部博士が夫人の健康状態を理由に、表彰式を欠席するというニュースを耳にしてはいたのだが・・・。

世界中で巻き起こっていた不満が一気に解消

 ここからはあくまで私の推測だが、南部博士はまず間違いなく、各国の物理学界の動向を見たうえで、あえてストックホルムでの表彰式を欠席したのだと私は思う。自分は身を引き、共著者であるヨナ博士がストックホルムの壇に立つ、という南部博士の「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(Till Eulenspiegel's Merry Pranks)」で、世界中の物理学者の不満は一瞬にしてどこかに消えてしまった。

 ヨナ博士はノーベル記念講演の壇上で、48年前にも南部博士から、大規模な物理学の会議であるミッドウエスタン・コンフェレンス(Midwestern Conference on Theoretical Physics)で突然、南部博士の代理発表を頼まれたエピソードを紹介した。

 ヨナ青年がどうすればよいかと尋ねたら、南部博士は「君の好きなようにやればいいさ」と言ったという。ヨナ博士は前の日は睡眠時間を削って準備したという。これは、将来有望な若い科学者を学界にデビューさせる、効果的な方法だ。「今回もそれと同じ」と、ストックホルムの壇上でヨナ博士は笑った。

科学は1人の天才ではなく複数の才能が協力して偉業をなす

 科学は決して1人の超絶的な天才によって作られるものではない。何人もの素晴らしい才能を持った人々が協力して、偉大な発見が進められるのは、遠く歴史を振り返って、ガリレオ(Galileo Galilei)とケプラー(Johannes Kepler)の交流などを見ても明らかだろう。

 まして素粒子物理学は、理論も実験も、膨大な数の優秀な頭脳が集まって発展してきた。1年に3人しか受賞者を認めないノーベル賞のルールは、科学の実態に即していない。南部博士はこうした状況全体をひっくり返す「愉快ないたずら」を仕かけたのだと私は思う。

 それに協力したヨナ博士、こうした前例のない企みを認めたノーベル財団(Nobel Foundation)の配慮も、大変に賢明だと思う。

 南部博士の業績は「自発的対称性の破れ(Spontaneous Symmetry Breaking)」の理論と呼ばれるものだが、南部博士は自身のノーベル賞受賞に際して、国際的に崩れかけたバランスの回復を、天才的なウイットで実現したのだと私は思う。

極端な経済的不均衡や差別は成長を阻害する

ポール・クルーグマン氏にノーベル経済学賞

経済学賞を受賞したポール・クルーグマン米プリンストン大学教授〔AFPBB News

 同じ2008年にノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のポール・クルーグマン博士は、極端な経済的不均衡(Extreme non-equilibrium)や差別(discrimination)が成長(economic growth)を阻害する実態を鋭く指摘している。

 科学技術(science and technology)の研究開発(research and development)でも、同様の指摘が可能なのかもしれない。

 既に科学を離れて久しい音楽家の私は、こうしたサイエンスの舞台裏(backstage)をメディア上に紹介しているが、多くは日本語で書かれている。少しずつこうした話題なども国際的に紹介してゆこうかと考えている。

 南部博士があえて欠席したノーベル記念講演ほど、関係したすべての科学者にとって晴れやかで、誇らしく思われた式典を私は見たことがなかった。何よりも、不在の南部博士の配慮と存在感が、一番偉大に感ぜられたノーベル賞記念講演だった。

 この記事は海外向けに英語でも発信しております(この記事の英語版はこちら)。

編集協力=清水 愛之