2014年12月5日未明(現地時間)にニューヨークのJFK空港を離陸する大韓航空86便で起きた「ナッツ・リターン事件」。大韓航空のオーナー会長の長女である前副社長が17日、ソウル西部地方検察の事情聴取を受けた。
検察当局は、事件後の証拠隠滅行為の有無なども含めて幅広く調べ、19日現在身柄の拘束なども検討中だ。
大韓航空の事件は、日本でも詳細に報じられている通りだ。12月12日には、大韓航空を傘下に置く韓進グループの趙亮鎬(チョ・ヤンホ=1949年生)会長が、本社に詰め掛けた記者団を前に「娘の教育を間違えた」と深々と頭を下げた。
韓国を代表する財閥の総帥が深々と頭を下げる姿も珍しいが、その内容が、65歳の父親が、40歳の娘について詫びるということで、韓国社会にも大きな衝撃を与えた。
不祥事に揺れる大韓航空、親会社は韓国最大の物流・輸送財閥
大韓航空を中核とする韓進グループは、韓国最大の物流・輸送財閥だ。創業者は、趙亮鎬会長の父親である趙重勲(チョ・ジュンフン=1920年~2002年)氏。1945年、日本の植民地統治が終わるとすぐに韓進商事を仁川に設立した。トラックを手に入れて米軍関連の輸送事業で急成長し、朝鮮戦争を乗り切って韓国最大の物流・輸送業者になった。
ソウルと仁川を結ぶバス事業に進出したほか、ベトナム戦争中には韓国軍のベトナム派兵に合わせてベトナムでも輸送事業を手がけ、グループは急拡大する。
1969年には、大韓航空公社(KNA)を買収した。これが今の大韓航空(KAL)だ。ナショナルフラッグキャリアを抱える韓国を代表する財閥になった。
趙重勲氏は、朴正熙(パク・チョンヒ)政権時代にのし上がった産業人の代表格の1人だった。日本の政財界にも幅広い人脈を持ち、時に日韓間のパイプ役を果たした。
1988年のソウル五輪の誘致の際には、趙重勲会長も活躍したと言われる。
趙重勲氏が築いた韓進グループの中で、大韓航空や物流会社の韓進、ホテル、免税店など主力事業は長男の趙亮鎬氏が継承した。
韓進重工業は次男、韓進海運は3男がそれぞれ率いて独立した。3男が急死したため、韓進海運の経営を韓進グループが引き受けることに最近なった。