英国の近代二大政党政治は19世紀後半1868年第1次デイズレイリ保守党内閣から始まり、グラッドストン自由党内閣と交互に政権を担ったことによって確立してきたという。
この辺りの研究は数多の碩学が極めているが、「デイズレイリ」(ロバート・ブレイク卿著)を翻訳して得た理解を半可通の謗りを恐れずに言えば、概略次のようなことであろう。
当時の英国はヴィクトリア女王の治世、7つの海を支配し繁栄を謳歌する一方で、ホーガスやデイケンズが活写したロンドンの貧しい人々と不潔な裏路地が存在していた。いうなれば格差社会であった。
そのときに、風貌も気質も理念も対照的にことにする2人の政治家がそれぞれの陣営を率いて改革を競った。
グラッドストンは腐敗防止をはじめ、大学、公務員制度の改革、軍制改革等行政の基盤に係る改革、デイズレイリは労働組合や労働者の住居改善、国民健康法や公衆衛生法等人々の健康や生活に係る社会政策を推し進めた。
デイズレイリは “2つの国民” 富める者と貧しき者の問題を先駆けて提起したことで知られている。更に彼の卓越した議会運営の手腕によって1867年第2次選挙法改正が実現し、殆んどの都市労働者に選挙権が与えられた。
多数の有権者の出現は政党と選挙民の緊密化を進め、新しい政治の形が求められるようになった。政策によって投票を獲得する、そのための効果的な組織、デイズレイリはそのうねりをいち早く理解し、政策組織共に生み出した。党中央本部を設置し、地方支部組織網を整え全国組織に統一した。チャーチルは『英語を話す国民の歴史』の中で『振り子のスイング』に従う二大政党制はデイズレイリと共に始まったと評している。
1884年には事実上、普通選挙権が実現する。日本で普通選挙権が実現するのは1925年(大正14年)加藤内閣のときである。遅れること約40年。それに比して二大政党政治は未だもって確立していない。
昭和30年に始まる55年体制が平成5年、細川内閣誕生によって終焉するまで38年間、細川内閣で二大政党政治を志向する政治改革が実現して今日まで15年、合わせて53年間、そのうち野党に政権が移ったのは細川、羽田内閣の僅か1年のみ、半世紀に及ぶ、政党間による政権交代を経験しなかった。
その結果、議院内閣制議会の望ましい有り様から遠く離れてしまった。政権交代による議員内閣制本来の権力のチェック機能が十分に果せず、昨今様々な問題が露呈してきている。加えて制度そのものから「ねじれ」が生じ、議会政治は隘路に入っている。しかし、時代背景は異なるが、わが国も繁栄の陰に歪みを生じ各般に改革が求められ、また格差問題をはじめ生活に係わる問題が山積している。諾々の改革を提示しあう中から政策本位の攻党政治が育つ、その土壌はあるのではないか。