日本の農業にまた1人、頼もしい人材が加わった。まだ30代の多田朋孔さんは京都大学で考古学を専攻、また応援部に属し第44代の応援団長を務めた。明晰な頭脳とリーダーシップを兼ね備えた人物である。

 新潟県の棚田で田植えイベントに参加したのをきっかけに、日本の農業に強く惹かれていった。一方で、若い人たちが何とかしないと美味しい米つくりが衰退してしまうという強い危機感を抱いた。

 そして勤めていた企業をやめ、新潟県の山間にある小さな村に移り住むことを決めた。奥さんと小さな子供を連れての移住である。不安がなかったかと言えばうそになる。しかし、若い時しか冒険はできない。

 幸い、今の若い世代にはインターネットという強力な味方がいる。どんなに山奥でも、ネットを通じて日本中、あるいは世界中と24時間つながっている。

 このインターネットを使えば、生産者と消費者を直接結びつけることもできる。農協やスーパーを通さず、丹精を込めて作った農作物を安定的に買ってくれる消費者に直接販売することが可能になる。

 安全で美味しい米を作れば、高くても買ってくれる人がいる――。消費者の顔が見える産業へと、日本の農業が新しい時代に入ったことを実感できたからこそ、多田さんは冒険をしようという気になったのだ。

 日本の電機産業が衰退し始めた原因はいくつか挙げられるが、その中で家電量販店が流通を支配するようになったことは大きい。消費者の生の声がメーカーに届きにくくなってしまったのだ。

 逆に日本の農業は国が定額で米を買い上げてきた歴史が物語っているように、消費者の顔は見えないのが当たり前だった。しかし、ネットの普及でその環境が激変した。何でも大量に作って安く、という時代は過去のものになりつつある。

 前に伊藤園の茶畑支援事業を紹介したことがある。ここでは、茶葉を年間を通じて決まった価格で買い上げてくれることがお茶を生産する農家の経営を安定させることにつながった。

 インターネットを使って日本の農業を活性化させようという多田さんたちの取り組みは、日本を再生させるためにもぜひ応援していきたいものである。

増員すればいいわけではない「地域おこし協力隊」

多田 朋孔(ただ・ともよし)氏
十日町市地域おこし実行委員会事務局長。京都大学卒。在学中に京大応援団第44代団長を務める。コンサルティング会社、組織開発コーディネーターを経て、新潟県十日町市の池谷集落に妻と息子を連れて移住。

川嶋 多田さんは大阪出身ですが、この十日町市に移住したのはどういう経緯があったんですか。

多田 大学卒業後は中小企業のコンサルティングに携わり、その後転職した会社が2004年の中越地震で被災した、この池谷集落の町おこしに関わっていたJENというNPOを支援していたんです。その縁で田植えのイベントに参加したのが、ここに来た最初です。2009年5月のことでした。

 それからも妻を連れて盆踊りのイベントに参加したり、稲刈りに参加したりしたのですが、同じ年の夏ごろに総務省が都市部から地方へ移住して地域活性化に取り組む「地域おこし協力隊」という制度を始めて、池谷集落でも受け入れることを教えてもらったんです。

 当時ここの集落に農業研修生が1人住んでいたんですが、その人の後釜がいなくて、せっかく進んできた地域おこしの取り組みがしぼんでしまうと。

川嶋 それで多田さんが手をあげたわけですか。

多田 はい。何回か来ているうちに、いずれはこういう所に住みたいなと思っていたのと、受け入れる側でもこの地区に来たことがある人が望ましいということで、地域おこし協力隊に応募して2010年2月から十日町市に移住しました。