【前回のお話】
全国の自治体病院で病床休止や診療科閉鎖、さらには閉院まで追い込まれるといったケースが相次ぐ中、岩手県藤沢町の国民健康保険藤沢町民病院は、16年間黒字経営を続けています。
かつて藤沢町は、病院のない時代が25年も続く医療過疎の町でした。そんな中、「病院づくり」を公約に掲げた佐藤守町長が病院の建設に着手し、92年4月、佐藤元美医師が国民健康保険藤沢診療所(藤沢町民病院の前身)の所長に就任します。
佐藤医師は、住民の健診や訪問医療に積極的に取り組みました。しかし、治療に時間のかかる生活習慣病の患者たちは診察を受けることを面倒くさがり、薬だけを求めるようになります。住民からは「なぜ薬だけもらうことができないのか」という非難が相次ぎ、94年に病院は赤字に転落してしまいました。
佐藤院長は、「町の財政の厳しさは承知していましたから、黒字を出すことが最初から優先課題でした」と言います。そこで佐藤院長は一計を案じました。
「無診察投薬ができないことを診察室でいちいち説明したのでは時間がかかるし、患者は頭ごなしに医者から怒られたと思うだろう。これは診察室の中では解決できない」と考えた佐藤院長は、お互いに冷静になって住民と話し合う「ナイトスクール」という会合を10カ所の地区健康センターで開くことにしたのです。
佐藤院長は、最初、住民が出席してくれるかどうか心配でした。しかし、それは杞憂に終わりました。藤沢町では、佐藤守町長が助役だった時代から、自治の運営について徹底的に討議する習慣を住民の間に根づかせていたからでした。そのため、「お医者さんが診察を終えた後にわざわざ話をしに来てくれるのだから」と多くの住民が集まりました。
ナイトスクールで佐藤院長は、次のように懇切丁寧に話しました。
「無診察投薬は、医療制度に違反しています。それを続けたら病院経営は成り立たなくなります。診察して生活指導するという質の高い医療を行い、その後に処方箋を書くことによって、病院経営の基盤となる診療報酬が入ってくるのです。皆さんがどうしても忙しいというのなら、私が往診に行くから自宅で診察を受けて下さい。
便利さや皆さんの都合ばかり優先していたら病院経営は成り立ちません。皆さんの悲願だった病院が、またなくなってしまいますよ。20人いる病院スタッフは国家資格を持っていますから、明日からよそででも働けます。でも、皆さんが他の町の遠い病院に行くのは大変じゃあないですか?」
住民は素直に理解し、「よく分かった」「前に県立病院がつぶれたことを繰り返したらダメだ」と口々に言いました。医師と住民が医療について語り合う藤沢町民病院のスタイルが定着した瞬間です。