神話の世界では、似たようなプロットが世界中に偏在しているという。

 中沢新一氏の『人類最古の哲学』には、古事記のコノハナサクヤヒメとニニギノミコトの花と石の話と、インドネシア(ボゾ族)のバナナと石の話の類似性が紹介されている。

 きれいな花とバナナと、表層では違っているが、その意味するところは、エロス(生)とタナトス(死)の共生である。いつの時代も人間の心には、そんな遠い記憶が刻まれ、互いに共鳴しているものらしい。

マルチエンディングなむかし話

 そんなことを考えていたある日、こんなことを思い出した。

 オバアチャンのむかし話。なんか毎回違ってたなぁ。気分によって登場人物やエンディングを変えてしまう。カチカチ山に、サルカニ合戦のカニが登場したり、桃太郎の行く先が竜宮城だったり・・・。

 孫を喜ばせようと、登場人物が豪華になってオールスターな物語になってしまう。

 それに、考えてみれば、同じ民話でもディテールが地方によって少しずつ違うのではないのか。どことなく似ているけれど、ちょっとずつ違う。共通な下部構造に、表層が乗っているのだ。

 コンテンツってそんなモノだったんだろう。

参考: マルチエンディング-デジタル化で我々の手に戻った「物語」

コンテンツ×ビジネス=コピー

 ところが、近世になってコンテンツにも、「ビジネス」という色がついてくる。企業が資本を集め、商品を生産し、利潤をあげるビジネス。商売で利潤を最大化するには、複製=コピーがいちばんである。