「煮る」ものだったご飯、
「炊く」に変えた台所事情とは

変わるキッチン(第2回)~「炊く」

2014.05.30(Fri)澁川 祐子

 湯取り法から炊き干しへ。

 それはすなわち、主食が雑穀から米へと取って代わる中で、「囲炉裏と鍋」から「竈と釜」へと調理の仕方も変わっていったことを示しているのだ。

「炊く」「煮る」に東西の風土の差を見る

 しかしながら、囲炉裏は姿を消したわけではなかった。

 特に東日本では、飯炊き用の竈が作られるようになってからも、暖を取るという側面から、囲炉裏は重宝され続けた。一方、西日本では竈の大型化が進み、焚口がいくつもあるような竈も登場している。

 ここで、冒頭の疑問に戻ろう。「炊く」と「煮る」の違いである。

 民俗学者の朝岡康二は、著書『ものと人間の文化史72 鍋・釜』(法政大学出版局、1993年)の中で興味深い指摘をしている。竈の「焚(た)く」火と、炉の「熾(おこ)す」火との性質の違いに注目し、これを調理の「炊く」と「煮る」に対比させている。どういうことかというと、「炊く(=炊き干し)」は竈で焚いた強い火で沸騰させるのに対し、「煮る」は炉で熾した弱い火で時間をかけて加熱するという、微妙なニュアンスの違いがあるのではないかという指摘である。そのうえで、

 <西日本で「煮る」と「炊く」が紛らわしいのは、実は比較的に早くから竈が発達して、鍋・釜ともに竈にかけて用いる習慣ができていたことと関わるのではないか>

と述べている。

 つまり、炉と竈の2つの熱源を使い分けてきた東日本では、「炊く」と「煮る」が明確に区別されるようになったが、ご飯を炊くのもおかずを煮るのも同じ竈で調理する西日本では、違いが顕在化しなかったというわけだ。

 これには「なるほど」と思った。東日本では「炊く」が「炊き干し」に特化した使い方になったのに対し、西日本ではそのままの「煮炊きする」という意味が使われ続けてきた。東西の竈の使いかたが、言葉の使い方の違いにまで及んでいたのである。

電化や電子化が進んでも炊き方の本質は変わらない

 釜と竈という強力な組み合わせはその後、戦後を迎えるまで長きにわたり、ご飯炊きの主役の座を譲らなかった。

 もっともそれまで、なにも工夫がなかったわけではなかった。

 明治時代になると竈にタイルや泥、粘土が使われるようになり、昭和初期には立ったまま調理できる「文化竈」も登場した。そうして竈の改良が進むなか、1914~15(大正4~5)年頃、いち早く電熱線を用いた電気釜が発売された。

 1930(昭和5)年に刊行された『主婦之友実用百科叢書第7篇 電気の設備と使ひ方』(主婦之友社編輯局編、主婦之友社)を見ると、電気七輪や、竈の役割をする電気の<飯炊機(めしたきき)>、アルミニウム製の<電化釜>など、さまざまな炊飯機器が登場している。大きさや使い勝手をいろいろと工夫している痕跡が見られるが、それでも昔ながらの薪で炊く竈と釜は根強く使われ続けた。

1930(昭和5)年刊『主婦之友実用百科叢書第7篇 電気の設備と使ひ方』に掲載された炊くための器具。「割烹器具」として紹介されている(国立国会図書館蔵)
拡大画像表示
この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る