韓国サムスン電子に敗れた日本半導体メーカーは、エルピーダメモリ1社を残してDRAMから撤退した。そして、日本半導体メーカーはこぞって「SoC(System on a Chip)」に舵を切った。SoCとは、1つの半導体チップ上に、プロセッサやメモリなど必要とされる一連の機能を集積した半導体集積回路のことである。

 その日本半導体メーカーの前に立ちはだかったのが、台湾のファンドリー(設計を行わず製造に特化した半導体メーカー)である台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング・カンパニー(TSMC)である。

 小品種大量生産のDRAMと違って、SoCは少量多品種という特徴がある。現在、このSoCの分野でTSMCが圧倒的な存在感を示している。一方、SoCの設計、製造、販売、全てを自社内で行う垂直統合型(Integrated Device Manufacturer:IDM)の日本半導体メーカーは壊滅的状態にある。

 台湾のファンドリー、TSMCは、一体どのようにして、SoCを制覇したのか?

 簡単に言えば、TSMCが起こしたイノベーションの真相は、設計を専門に行うファブレスメーカー、設計した半導体の知的資産を販売するIPベンダー、設計ツールメーカーなどと共同で、SoCのプラットフォームを構築したことにある。もっと簡単に言えば、製造しか行わないTSMCが、SoCの設計を制したのだ。

そもそも日本メーカーがSoCに舵を切った判断の根拠は?

 DRAM撤退という手痛い敗戦を経験したにもかかわらず、日本半導体メーカーは、SoC分野でも再び苦境に立たされることになった。

 NECエレクトロニクスと経営統合したルネサス テクノロジ(現ルネサス エレクトロニクス)も、東芝・大分工場も、富士通マイクロエレクトロニクス(現富士通セミコンダクター)も、SoCではほとんど利益を上げることができていない。また、各社とも、工場閉鎖および事業縮小を迫られ、最先端の設備投資は行わないことになった。さらに、最先端のSoCについては、TSMCに生産委託するとの発表がなされた。

 そもそも、なぜ日本半導体メーカーは一斉にDRAMから撤退しSoCに舵を切ったのか? ことの真相は明らかではないが、「一斉に」というところに、日本半導体メーカーの2つ目の病気があるように思えてならない(ちなみに、1つ目の病気とは、本連載の第2回目で紹介した「過剰技術で過剰品質を作ってしまうこと」である)。

 2007年2月、ある半導体メーカーの役員から、次のような話を聞いた。

 「1998年に、非常に深刻なDRAM不況が襲ってきた。その時、『日経マイクロデバイス』(注:日経BP社が発行していた電子デバイス情報誌)が、“浮き沈みが激しく赤字の元凶となっているDRAMから撤退せよ。次はSoCの時代だ”と、日本半導体メーカーを叩きまくった。あの日経マイクロデバイスの編集長だけは今でも断じて許せない。あいつが日本半導体をミスリードしたのだ」