パッと見は西洋風のチョココロネ、
渦巻きの向こうに見えたのは饅頭だった

2014.02.14(Fri)澁川 祐子

 明治時代に入ると、ヨーロッパからキャドバリー、フライ、メニエルといったメーカーのチョコレートが輸入、販売されていたが、極めて高価な贅沢品だった。そうしたなか、日本で初めてチョコレートを加工、販売したのは1877(明治10)年、東京の両国若松町にあった「米津凮月堂」である。同年11月10日付の東京報知新聞には、「新製猪口齢糖」という広告が掲載されている。当時は、「貯古齢糖」「千代古齢糖」などの当て字も使われていた。

 1899(明治32)年には、「森永西洋菓子製造所」(現・森永製菓)がチョコレートの製造を開始。さらに1913(大正2)年に不二家、1918(大正7)年には東京菓子(現・明治)がこれに続いた。

 また、森永製菓は1918(大正7)年、原料チョコレートを使うのをやめ、カカオ豆からのチョコレート一貫製造を始めた。そして同年、ミルクチョコレートを発売。翌1919(大正8)年には、ココアも発売した。

 こうして工業生産の時代に入ったチョコレートは、大正から昭和の初めにかけて、ハイカラなお菓子として人々の間に広まっていったのだ。

チョココロネ普及期は昭和時代か

 チョココロネにとって欠かせない、パンとチョコレートという2つの材料。ここまで見てきた普及の様子を考えると、早ければ明治時代末頃にはその2つが出合い、チョココロネが誕生していてもおかしくない状況である。

 『サライ』1996年12月5日号には、1892(明治25)年に東京の本郷で創業した老舗パン屋の「明月堂」が明治期から代々受け継いできたというチョココロネを紹介している。そこで、明治から大正にかけての製パンの本を中心に、チョココロネが登場しないかを調べてみた。

 だが、結果は期待外れだった。あんパンやクリームパンについての記述はあっても、チョココロネは出てこない。生地にチョコレートを混ぜる例はあっても、あの巻貝型のものは見当たらない。

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