中国経済は、過去10年にわたり、10%前後の高度成長をつづけ、世界における存在感を強めている。これは、第2次大戦後、戦災の廃墟から出発した日本経済が、20年近くにわたる高度成長を実現し、世界第2位の地位に占めるに至ったプロセスを連想させる。
時代は異なるが、両国の高度成長期を比較すると、極めて興味深い問題が浮かび上って来る。中国は、かつての日本のように、20年にわたる高度成長が可能であろうか。
貧富の差の拡大が最大のリスク(中国)
私は、中国にとって最大のチャレンジは、如何にして同国の社会的リスクを顕在化させないで経済成長がつづけられるかということではないかと思う。
社会的リスクの最大のものは、言うまでもなく、貧富の差の拡大である。沿岸工業地帯と内陸農村部の1人当り所得の格差は、今や、6対1になっているといわれる。沿岸工業地帯においても、正規労働者と非合法出稼ぎ労働者の賃金には大きな格差があるという。
世界で飛び抜けて高い高度成長を実現した2000年から2005年の間に、中国の中の非識字人口は3000万人増えて、1億1000万人になった(世界銀行)ことを見ても、貧富の格差の拡大は明らかであろう。
このような格差のかなりの部分が、土地の払下げ、開発にからむ汚職と関連しており、またこれがその地帯の水や空気の汚染を惹起しているという認識が民衆の間に拡がり、国内で大小の叛乱が起っている。中国政府の発表でも、2005年には8.7万件の暴動があったし、その数は累年増加している。
農地改革と財産税が一億総中流化もたらす(日本)
わが国の高度成長期を振り返ると、このような社会的リスクが殆ど見られないことに気づく。
私は、それを可能にしたのは、戦後の農地改革と財産税の賦課であったと思う。戦前の日本の農家の75%は小作農であり、収穫の半分もしくはそれ以上の小作料を地主に払い、また高い金利の借入れの重荷を負っていた。「おしん」で描き出されたような世界であった。
農地改革によって、不在地主から耕作者への所有権の強制的な移転が殆ど実質的な対価なしに行われ、当時はそれに伴う悲劇も多く観察されたものである。
しかし、これによって、農村部にあった反体制的社会運動は完全に影をひそめ、わが国に社会的安定をもたらす大きな要因となった。
次に、終戦直後に実施された1回限りの財産税がある。これは、50万人の納税者(皇室財産も例外とされなかった)に対し、25~90%の累進税率で課税され、わが国における貧富の差を縮小するのに大きな役割を果した。
占領軍の主導による部分が大きいこのような改革については、いろいろな批判もあり得るだろう。しかし、これがその後のわが国において、給与体系、税制などにおいて所得均分的カルチャーを定着させ、90%の国民が「自分は中産階級に属する」と認識するような安定した社会をつくったことは、否定できない。
また、「ひとりっ子政策」をうけて、今後急速に高齢化する中国社会に比べて、ベビー・ブーマーズが労働力として20年間にわたる高度成長を支えた当時の日本は、本当に恵まれていたと改めておもわざるを得ないのである。