日本が「ガラパゴス化」しているのは、携帯電話だけではない。自動車もまた、市場、ユーザー、産業の全てがこの国の中に「閉じこもって」しまっている。残念ながら、この状況を揺るがすアイフォーン(iPhone)のような「黒船」は現れようもない。

 前回も書いたように、自動車の国内市場に「輸入車」はほぼゼロに近く、結果としてユーザーの体験も意識も国産車に限定されてしまっている。だから今や幻影に近づいている「トヨタ信仰」「日本車神話」(品質についても、あるいは燃費などの実性能についても)がなかなか消えてゆかない。

 その製品を送り出す側、すなわちトヨタ自動車が代表する自動車メーカーの方は、ビジネスエリアを世界に広げているにもかかわらず、企業の舵取りから個々の製品の企画開発まで、過去の成功体験から踏み出すことができなくなってしまっている。

 それは1つに、プロフェッショナルとして自分たちの専門領域を広く見渡し、深く掘り下げて知見を深め、それに基づいて経営判断や技術開発を進める、組織としての能力が低下しているからだ。

 それどころか経営陣の中には、浅薄なメディアが表層の一部分を舐めただけであれこれ書き立てることが、世の流れであるかのように受け取って、自社が進む方向を決めてしまう人士が少なくない。むしろ、そうやって妄動しがちなメディアを、事実とその分析を示して導くことが、プロフェッショナルとしての役割であるはずなのだが。

 ハイブリッド動力を含む電動推進システムへの偏向は、その象徴的なケースである。トヨタだけでなく、その傘下にある部品メーカーでも、「本体」の意向に沿って「これからは電動車両の時代だから・・・」と技術開発や製品企画の方向をそちらに絞り込むことが「会社の方針」だと考える重役が増えているとも聞く。

 世界の自動車技術の潮流、消費の動向、社会のニーズなどをしっかり見て、考えていれば、そんな台詞が出てくるはずはないのだが。

トヨタから傘下への「天下り」の弊害

 ここでの問題はもう1つある。トヨタから傘下の企業への「天下り」が、例えば本来は独立した自動車メーカーであるはずのダイハツ工業に始まり、部品メーカー各社、さらに様々な関連企業に広がっていることだ。

 トヨタの役職人口が増えて「上が詰まっている」ために、組織の階梯(かいてい)を昇るどこかで傘下の企業に転出する人々はかなりの数に上る。

 もちろんそれぞれの企業の取締役以上に収まるケースがほとんどなのだが、トヨタ在籍時にある程度は関連した業務に就いていたとはいえ、必ずしも個々の企業の専門領域に関わる体験を持ち、そのプロフェッショナルであるわけではない。

 しかし、トヨタ時代の体験と知識を持ち出してそれぞれの企業の業務に当てはめ、いろいろと、時に的外れな指示や決定を出す。逆に各企業でプロパーとして育ってきた人々が企業組織の上層にはなかなか加われず、彼らの知見や経験が企業経営や開発、事業展開に反映されにくくなっている。