源氏物語でも“難物”だったニンニクのにおい

孤高の食材「ニンニク」の真相(前篇)

2013.03.15(Fri)漆原 次郎

 藤式部丞は、蜘蛛が巣を張る夕暮れに、昼まで(蒜のにおいが消えるまで)待てと言うのはわけの分からないものだと嘆いたのである。

 ニンニクを食べた女は返歌を詠んだ。

 <あふことの夜をし隔てぬ仲ならばひるまも何かまばゆからまし>

 この女は、毎晩、逢っている仲であれば、昼間(蒜のにおいが消えないうちも)もどうして逢えないことがあるだろうか、と詠んだわけだ。藤式部丞と逢っていたいという未練があったのだろう。だが、残念ながら、女はニンニクのにおいで臭かった。

憎むべきものか、耐え忍ぶものか

 過去も現在も変わらずににおっていた。そんなニンニクを、古の日本人はどう捉えていたのだろうか。

 仏教の戒律から避けるべきものとなっていたため、はじめから「食べるものではない」と考えていた人は多かっただろう。また、これも仏教と関係するが、古の日本人は肉や油を取る習慣をほぼ持っていなかった。質素な日本食のなかで、ニンニクはいまより相対的に強い刺激物だったろう。実際、食材というよりも、薬あるいは強壮剤という側面が強かったとも言われる。

 ニンニクに対する捉え方は、「ニンニク」という呼び方の由来にも見え隠れしている。

 「ニンニク」と読み方が初めて文書に表れたのは、室町時代1454(享徳3)年の『撮壌集』という国語辞典においてだ。なぜ「ニンニク」と呼ばれるようになったのか。

 江戸時代の儒学者だった貝原益軒(1630~1714)は、『日本釈名』という語源辞典のなかで、「にほいあしくてにくむべし」、つまり悪いにおいを憎むべし、ということから「ニンニク」と呼ばれたのだとしている。

 他方、「忍辱(にんにく)」という言葉を由来とする説も強い。菩薩が悟りの境地を得るための修行の1つに「忍辱」というものがあり、侮辱や苦痛を耐え忍ぶことを意味する。においを放つ「葷」の1つのニンニクを食べることを禁じられた僧たちが、食べたいものを耐え忍ばなければならないため 「ニンニク」と呼んだというのが、この説だ。

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