「ニンニク」は、お好きだろうか。

 例えば金曜の夜。明日は人に会う予定もなければ、電車で出かける予定もない。ラーメン屋に入り「ニンニク増し増し!」とトッピングを注文し、心おきなくニンニクを食べる。そんな、ニンニクとの賢い付き合い方をしている人もいるだろう。

 「いまここでニンニクを食べてもよいかどうか」。人が常にそうした判断を強いられるのは、ニンニクという食材が強烈なにおいを放つからだ。食べる前から皿の中でにおいを感じ、食べている最中も風味としてにおいを感じ、食べた後も体にこもったにおいを感じる。これほど、においが離れていかない食材もめずらしい。

 今回は「におい」に焦点を当てながら、ニンニクにまつわる日本での食の歴史と、先端科学を追うことにしよう。

 前篇では、日本人がどのようにニンニクや、そのにおいに向き合ってきたか、あるいは向き合ってこなかったか、そんな“ニンニクのにおい観”を時代の流れとともに見ていきたい。

 後篇では、なぜニンニクは「活力のもと」と言われるのか、ほかにどのような効用があるのか、現代科学で分かってきたニンニクの真の実力を見ていきたい。ニンニクに含まれる成分などを研究する日本大学生物資源学部の関泰一郎教授に解説してもらう予定だ。

におい、それは神聖化と忌避のもと

 日本にニンニクがいつやって来たか。その歴史は実は明らかではない。360年前後の古墳時代、朝鮮半島の百済との交流の中でニンニクが入ってきたという説もあれば、崇神天皇(紀元前148~同29年)の時代、天皇から橘の実を取ってくるよう言われた在日の朝鮮帰化人たちが、橘の実とともにニンニクを持ってきたという説もある。

 ニンニクの持つ“威力”が描かれたのは、8世紀の『古事記』や『日本書紀』などの歴史書の中でだ。日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東国を平定する際、山中で食事を取っていると、足柄山の神の化身として白鹿が現れた。尊は、食べ残しの「蒜(ひる)」の片端を投げて、白鹿の眼に命中させた。すると、白鹿は死んでしまったという。