10月1日グルジアで総選挙が行われた。150議席(比例77議席、小選挙区73議席)の国会議員を選ぶもので、2日午後には早々と与党を率いるミハイル・サーカシビリ大統領が敗北を宣言した(敗北宣言の英語サイトはこちら)。(文中敬称略)
選挙直前に発覚した刑務所での受刑者に対する性的虐待スキャンダルとその映像の効果は絶大で、すでに信任を失っていた首都のみならず、全国的に与党は劣勢をはねのけることはできなかったようだ。
投票終了後、サーカシビリ大統領は比例での敗北を認める一方、小選挙区での勝利により全体では与党が勝利する見通しを述べていたが、一転して多数派を失ったことをあっさりと認めた。
今回の選挙結果は、強力な大統領制から来年末に日本のような議院内閣制への移行をすでに決めているグルジアにとり、平和裏に政権交代できることを意味する。
来年末の選挙で選ばれる大統領はあくまで象徴的な権力しか持たず、今回の総選挙で勝利した政党が、首相選びで事実上主導権を握ることになる。野党リーダーの大富豪ビジナ・イヴァニシュヴィリはすでに首相就任を明言している。
1991年末に発生した軍事クーデターにより初代大統領ズヴィアド・ガムサフルディアは失脚し、2003年秋のバラ革命では第2代大統領エドアルド・シェワルナゼがやはり政権を追われた。
隣国アゼルバイジャンではアリエフ父子による世襲政治が継続し、アルメニアでも選挙のたびに流血事件が起こっている。そもそも血なまぐさい紛争が絶えない旧ソ連・コーカサスの地で、大きな混乱なく政権が野党に移ることがあれば、それ自体が画期的なことである。
選挙結果について
今回の選挙は9月末のスキャンダルに大きく増幅された結果であることは疑いないが、一方で、2007年秋の大統領選挙(南オセチアでの紛争前)で、すでにサーカシビリが過半数ぎりぎりで大統領に再選され、首都トビリシでは対立候補に得票数で劣っていたことを想起すれば、それほど意外感のあるものではない。
一方、2010年の地方選挙では与党が勝利しており、政権に圧力をかけることができるような野党は長年出現しなかった。
要するに5年かけて与党側は国民にもう一度顔を向かせるような成果に乏しく、一方、野党側がビジナ・イヴァニシュヴィリという核となる人物を得て、まとまったことが大きい。
イヴァニシュヴィリが突然政界進出を発表したのはちょうど1年前の事だった(「サーカシビリに強敵出現か? グルジア随一の大富豪が政界に名乗り」)。
イヴァニシュヴィリは国籍剥奪や財産押収など政権側による様々な圧力にも動じなかった。
バラ革命後の8年間で曲がりなりにも市民生活は安定したが、サーカシビリ政権の主な資金源が欧米からの国際支援とイヴァニシュヴィリのポケットマネーであったこともよく指摘されるところである。