経済学では、映画を観続けることは不合理としています。退席すべきで、1500円は損切りして、時間を有効に使うべきとしています。
さて、上記の映画の例はまさに結婚生活ではありませんか?
「運命の人が見つかり、恋愛して、盛大な披露宴をして結婚しました。30歳で結婚。その後5年経って、恋愛熱が冷めて、相手の欠点が見えてきました。子供はまだ授かっていません。というのもセックスレスになって既に2年だからです。もう別れたいと思うようになりました。さて、離婚すべきか、我慢すべきか?」
映画の途中で席を立つのも、離婚を決断するのも、基本的に同じ構造です。サンクコストが1500円なのか、結婚のようにお金では表せないかもしれないけれども、人生最大の非常に大きい額のもの、という違いだけです。
離婚をしたいと思ってもいろいろ考えるはずです。
今は熱が冷めているけれども「復活愛」があるのではないか、セックスレスになったけれど再び戻る可能性もあるのではないか、いま別れたらいままで何のために我慢したのか分からない、好きじゃないかもしれないけれど嫌いじゃないので、離婚して路頭に迷うよりもまし、離婚した後の金銭的な問題が心配、といったように、さまざまな思いが去来するはずです。
経済学ではこのような思考回路になるのは不合理として、「損切り」することが合理的としていますが、なかなか決断するには至らないものです。
いままで費やしてきたお金や時間やエネルギーが(女性にとっては「思い出」も)あまりに大きくて、離婚して捨ててしまうのがもったいないと思ってしまうものなのです。
本当は「離婚して幸せになる道」もあるのに。こうやって、ほとんどの恋愛の冷めた夫婦は我慢しながら結婚生活を送っているようです。
