おらが街のNBAチーム、ロサンゼルス・レイカーズがプレイオフで敗退したのがショックで傷心旅行中・・・。

 というわけではないのだが、ニューヨークに来ている。

(上)第3クォーターの残り0.01秒でコービーが超絶3ポイントを決めた時は勝ったと思ったのに。(下)レイカーガールズたちに思わず目を輝かせる(著者撮影、以下同)

 5年ぶりに再会した友人でブロンクス出身のコリアンアメリカン、ブライアン・キムが彼の通っているブラジリアン柔術の道場で一緒に汗を流さないかと言う。

 格闘技はもともと大好きだ。

 高校時代は極真空手に熱中し、大学時代には、1984年ロサンゼルス・オリンピックと88年ソウル・オリンピックの銀メダリスト、太田章先生にレスリングを少々習っていたこともある。

 それに旅先では、こうして思いもかけないようなわくわくする方向に流されていくのが楽しかったりする。

 「よし、じゃあいっちょやったるか!」と勇んで出かけてはみたものの・・・。

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 気ままな旅だから、ペンも気ままに、僕がリスペクトする友人であり格闘家、崔領二(さい・りょうじ)という男のことを書いてみよう。

 バラエティー番組『あいのり』で、「レスラー」というニックネームで出演し人気を博した青年と言えば、彼の顔が思い浮かぶ読者も多いかもしれない。

 プロレスラー、崔領二。

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 1990年代ちょうど半ば頃の話。

 新大阪に、テーブルが2つにカウンター7席だけの小さな焼肉屋があった。在日2世の夫婦が細々と経営する店だ。

 そこの次男坊が映画制作を学ぶために、中学卒業と同時に単身英国に渡った。

 それから十数年を経た後、「日本のプロレスラーで最も成長しているレスラー」とまで評されるようになるその少年の名は、崔領二と言った。

 ランドセルも人から貰ってきたものを子供に使わせるほどで、決して裕福とは言えなかった両親が、当時1ポンド260円という現在と比べて2倍以上円安の「自殺行為的状況」(崔・談)の中、どうにかこうにか英国留学をサポートしてくれた。

 「両親、特にひたむきに頑張る母親にはいくら感謝しても感謝しきれない」と言う。ちなみに崔の兄、妹も韓国で大学院まで卒業させてもらったという。