1. 防衛の主体性
この3月に「大震災後1年、今後の自衛隊の方向」と題したシンポジウムの司会を務めた。主眼を「米中の狭間にある自衛隊の在り方」とし、パネリストは陸・海・空の退役将官方3人と米国のシンクタンクCSIS上級研究員から東京財団上級研究員に移った渡部恒雄氏(民主党最高顧問・渡部恒三議員の長男)の計4人であった。
各人20分宛の基調講演のあと、討論に入ったのだが、もともと4人の意見に大きな違いがなかったので、論点・争点を浮き彫りにすることが難しく討論司会者としては意外に苦労をした。
終わって何人かの視聴者方からシンポジウム全体に対する評価を頂いたが、その中に「パネリストたちが、日本の主体性について強調される一方、アメリカに逃げられることへの懸念を持っているというあたりが印象的でした」というメールがあった。
その人は最近まで左翼系新聞に所属していたジャーナリストなのだが、なぜ彼はそんな表現をしたのだろうか。
防衛問題における日本の主体性(独立)を主張するのは、防衛問題を全く考えない人々を別にして、左右両翼に共通するものだが、かつては、日米安保の「巻き込まれ論」をいうのは左翼、「見捨てられ論」をいうのは右翼、という分類があったように思う。
このジャーナリストは、相変わらず「巻き込まれ論」はあっても「見捨てられ論」はあり得ないと考えているのか、それとも「見捨てられ論」もあり得る時代だと共感したのか、近く、その真意を聞いてみたいと考えている。
実は「巻き込まれ」も「見捨てられ」も真に主体的な考えとは言えず、本来はそれらを冷静に判断し、自主的に正しい判断をしていくのが「独立派」のあるべき姿なのだと思う。