神社の屋根の上に乗っている「カツオギ」、改めてこれに着目したとき、最初に思い浮かんだのは、いったい「古代の神社の屋根」は、何で葺かれていたのだろう(?)という疑問でした。
「カツオギ」という名前の由来は定かでなく「形がカツオブシに似てるからじゃないか?」などとも言われますが(多分俗説でしょう)、一つ言えるのは、この名前はかなり古くからあるものらしいことです。
ここで「古い」というのは、奈良時代(例えば東大寺正倉院)とか飛鳥時代(例えば法隆寺)よりもはるかに古いということ、つまり、歴史時代というよりむしろ弥生期以前、太古の人々の信仰や生活に結びついている可能性を考えています。
前々回、ご紹介したように「チギ(千木)」や「カツオギ」の原点は、その名も「天地根源造」と呼ばれる、地面に柱を立て、直接そこに屋根を葺く原始的な「掘っ立て小屋」に遡ることが指摘されています。
この掘っ立て小屋、要するに壁に相当する部分がほとんどなく。大黒柱に直接「屋根」が葺いてあるわけですから、柱以外の部材といえば、屋根を葺く素材くらいしかない。
当然ながら「天地根源造」の時代に瓦などはありません。「天平の甍」なんて言うくらいで、今日に伝わるような屋根瓦が日本列島で見られるようになるのは奈良時代以降のこと、古い時代の家屋では、屋根は植物で葺かれていました。
桧皮葺、茅葺、そして藁葺屋根・・・今日の神社に繋がる、弥生後期以降の水稲栽培文化を考えるとき、稲の茎である「藁葺屋根」の「天地根源造」建物を考えるのは自然でしょう。
そして、ここまで考えたとき、「あっ」と思ったわけです。
保存食への飽くなき探求
前回も触れた通り、カツオは群れをなして回遊する魚です。太古の漁法がどのようなものだったのか、いまこの原稿を書いている時点では、定かなことが言えませんが、大昔の人々も、魚がやたらに獲れる「大漁」もあれば、何カ月も全く漁獲高が上がらない時期もあったに違いありません。
こと「カツオ」に関して言えば、相手は群れて泳ぐ魚です。土佐の一本釣のような漁法でも、みんなで釣れば一挙にたくさん獲れることもあったでしょう。また逆に、長らく魚が獲れない時期もあったと思われます。
そこで、豊漁の際に獲れた魚を取っておく、保存の技術が進んだと考えられます。
前回は「カツオのタタキ」つまり新鮮な魚を生で食べる方法を検討しました。生魚には寄生虫などの問題がつきものです。カツオのタタキは「生食用」の衛生対策に味覚の観点を加味して進化したと思われます。