郵便貯金の預入限度額が2000万円に引き上げられたドタバタ劇は、鳩山政権における経済政策の本質を曝け出した。その政治的経緯のお粗末さもさることながら、マスコミや金融界の反応を見る限り、この一件は非効率で生産性の低い金融をこの国が目指していることを露呈した。その意味では、国民の成長期待を委縮させる効果をもたらした2009年11月の「デフレ宣言」の二の舞いになるだろう。
それにしても、亀井静香金融・郵政改革担当相の政治的駆け引きの上手さには舌を巻かざるを得ない。政権内にはこの問題の危うさをある程度分かっている人もいたはずだが、亀井氏が閣内に混乱を起こしておいて党首討論の前日に解決を委ねたため、鳩山由紀夫首相には時間切れの妥協しか選択肢が残されなかった。
もちろん、政権がこのタイミングで郵貯拡大案をぶち上げたのは、夏の参院選を意識してのこと。郵政関連事業に繋がる人々、すなわち全国郵便局長会(全特)や日本郵政グループ労働組合(旧全逓)の意向を無視できるほど現政権は選挙に強くない。
いざ蓋を開けてみたら、閣内で強い反対意見を表明したのは仙谷由人国家戦略担当相だけという事実が、その証左になる。郵政事業の「官営回帰」は、亀井氏率いる国民新党の思い入れだけではない。それには民主党政権を操る人々の意思がしっかり反映されているのだ。
本質論ではない「民業圧迫」、困るのは自転車操業組だけ
マスコミや金融界は資金が民間金融機関から郵貯にシフトすると指摘しながら、「民業圧迫」を騒ぎ立てた。実はこの時点で勝負は決まっていたのかもしれない。
国民の多くが次のように考えているからだ。「どこに預けても大した利息がつかず、他にしっかりした投資対象がなければ、事実上の『政府保証』が付く郵貯の方がいい」「預金にしても借り入れにしても、魅力的な提案のできない民間金融機関など淘汰されて構わない」
亀井氏はそこを鋭く突いた。例えば、山間部の孤立した村に現金を届けていた民営化前の郵便局のサービスがテレビでありがたく報じられていた。筆者は「これは行政サービスの問題であり、金融の問題ではなかろう」と考えるが、毎度のことだがマスコミはこうしたミクロ現象を心温まる「いい話」として伝える。
つまり、「民業圧迫」は国民の心には響かなかった。しかし、「それは民間金融機関も承知の上」と言ったら、邪推にすぎるだろうか。
民間金融機関にとって、この低金利カネ余りの状況で運用資産の増加を迫られる資金流入はありがた迷惑である。安全な融資先は限られており、「リスクを取るな」と当局や世間から言われているから、そこそこの経営を続けるには預かり資産(金融機関にとって負債)が多少減るのは構わない。