米軍普天間飛行場(沖縄県名護市)の移設問題は、迷走の末に鳩山由紀夫首相の辞任という結果を招いた。だが、根本的な解決策は未だ示されていない。
冷戦終結後20年余が経ち、世界各国で在外米軍基地の縮小・撤退が進んでいる。「脅威」であった共産勢力に対する包囲網・抑止力として一定の役割を終えたにもかかわらず、在日駐留米軍だけは減っていない。
国内では「日米安保」が呪文のように唱えられてきただけ。日本が直面する新たな「脅威」とは何か、またそれに対してどういう対応が必要かという議論は欠如している。明白なのは、日本が地域安全保障体制について中長期のビジョンを示すことが必要であり、それこそが普天間問題を解決するカギになるということだ。
前提条件が消滅した日米安保体制
そもそも、冷戦下の日米安保体制とは何だったのか。
米国が日本を防衛するという片務的な安保条約に基づき、米軍が日本に駐留して前方展開することと貿易・経済面での対日優遇策がセットで機能していたのだ。
つまり日本にとっては、軍事力よりも経済力に資源を集中させて巨大な米国市場への無条件アクセスを得た上で、経済成長を実現することになる。一方、米国にとっても在日駐留米軍基地が対共産圏包囲網として高い戦略的価値があり、双方の国益は合致していた。
しかし冷戦の終結後、主たる脅威の対象は共産主義国家からテロリストへと移った。また、リーマン・ショック以降は米国市場のプレゼンスが相対的に縮小し、中国やアジア市場へのシフトが鮮明になり、日米両国を取り巻く環境は大きく変化している。
それ以前に1980年代からの熾烈な日米貿易摩擦やプラザ合意を経て、さらに日本による米国債の大量保有などを通じて貿易・経済面では日米関係は対等以上になっていた。
米軍にとっては駐留費の75%も出してくれる日本の「思いやり予算」が駐留の主な根拠であり、それを除けば長距離爆撃機の開発で沖縄駐留の戦略的意義は低下した。こうして日米安保体制の前提条件が消滅したのに、歴代の自民党政権は沖縄も含めて本質的な議論から逃げ続けてきた。
1990年代以降は北朝鮮のミサイル・核問題や中国の軍事力増強を背景に、日米防衛関係者や政治家によって軍事面に特化した日米の結び付きが強化された。
とりわけ保守勢力の小泉─ブッシュ政権下では、2003年の北朝鮮核問題を契機に「ブラックボックス」の弾道ミサイル防衛システムを日本が米国から調達したため、情報・技術のみならず米国の世界戦略の作戦指揮系統の中に取り込まれることになった。これは集団的自衛権を認めない平和憲法と矛盾するようだが、オープンな議論どころか国民への説明すらない。