例えば、ヘッジファンドの覇者ソロスファンドの創設者であるジョージ・ソロスは1992年ポンド危機の際、わずか100億ドルの投機資金でイングランド銀行のポンド防衛策を打ち負かした。国債の流通総額が巨大だからと言って、取引量が国債に比べ小さいソブリンCDS取引が国債市場全体を振り回さないとは限らないというのである。
次の欧州中央銀行(ECB)総裁候補の一人に擬せられるマリオ・ドラギ金融安定化理事会(FSB)議長も、ソブリンCDSの規制に積極的だと見られている。2009年12月9日、欧州人民党のハイレベル政策討議会合で講演し、「市場参加者は国債が安全資産だという仮定に挑戦しているのだ」と断じている。
また、英国の金融サービス機構(UKFSA)のアデル・ターナー会長は2010年3月17日、ロンドンのCASSビジネススクールで講演。CDSが銀行に対して信用リスク管理の手段を与えたと評価する一方で、それの体現するリスクプレミアム自体が市場の信用不安への期待を醸成してしまうという自己参照(self-referential)を指摘した。すなわち、CDSには市場のボラティリティーを高めてしまう危険性があると警鐘を鳴らしたわけだ。
「鏡に映った醜い顔」を非難できるのか
欧州から沸き起こるソブリンCDS規制論。これに対して反論に努めているのが、CDSを含む金融デリバティブ市場の参加者の業界団体である国際スワップ・デリバティブ協会(ISDA)だ。
2010年3月15日、ISDAはプレスリリースを出し、「裸の」ソブリンCDSの取引は透明で流動性もあり、規制論や禁止論は間違っていると訴えている。
(1)ギリシャ国債のソブリンCDSは90億ドルの残高に過ぎず、2008~09年に残高が急増した証拠もない。残高が4000億ドルを超えるギリシャ国債市場を、90億ドルのソブリンCDS取引がどうして混乱させられるのか (2)火災保険の契約者が保険金欲しさに対象物件に故意に火をつける動機が高まる可能性と同様、CDS取引にもモラルハザードがあると指摘する向きがあるが、CDSの買い手が企業や国を破綻させる動機はない。
前述したポーテス教授らの規制論に対し、ISDAはこのように反論している。米国CFTCのゲンスラー委員長も欧州議会講演の直前、記者団とのやりとりの中で、ソブリンCDSの規制実施は困難だし規制しても他の高リスク金融商品への投資を助長するだけだと慎重論を唱えている。
さらに激しい規制反対論を展開しているのが、大手金融機関のアナリストらだ。シティバンク欧州は2010年3月1日、「ソブリンCDS:『お前は鏡に映ったお前の醜い顔を非難できない』」という刺激的な題をつけたアナリストリポートを配布した。
それは、(1)ソブリンCDSのプレミアムと国債流通利回りの間に裁定関係はない (2)レバレッジの高い空売りのためにソブリンCDS取引が行われている証拠はない (3)ソブリンCDSのようなボラティリティーの高い取引をますます好むようになっているのは投資家であり、組成している金融機関は悪くない (4)「裸の」ソブリンCDS取引を禁止したところで野放図な国債発行を許すだけ――と激しい反論を行っている。
つまり、シティバンク欧州のアナリストは、「裸の」ソブリンCDSのプレミアムはある国の財政の悪化度を映す鏡のようなものにすぎず、鏡には現実の姿を変える力はない。非難されるべきは財政を悪化させているその国の政府だ――と主張しているのだ。
「対岸の火事」ではない日本、市場では奇妙な動きが・・・
「裸のソブリンCDS」規制をめぐる欧米金融界の議論は、日本の当局にとっても対岸の火事ではなく、高みの見物を決め込んではいられない。
2009年9月に公表された経済協力開発機構(OECD)エコノミック・サーベイによれば、日本の公的債務は2010年にグロスでGDP比200%、ネットでも同100%を超える。金融市場で投機的攻撃を受け、目下「炎上中」のギリシャを上回るほどの財政の悪化状況なのだ。