戦後史を振り返ると、この夏の総選挙で自民党が惨敗したのは当然だった、と思う。なぜか。自民党には、政権党としての「必要条件」も「十分条件」も最早失われていたからだ。

社会党右派・左派の統一が契機となり、対立していた保守合同が実現。55年体制が始まった

 戦後、吉田茂を中心とした官僚派と鳩山一郎ら戦前からの党人派が激しく対立していた保守陣営が、ようやく合同して自民党にまとまったのは1955年である。きっかけは、左右両派に分かれていた社会党がその年、政権獲得を目指して統一、両派の占める国会の議席数が全体の3分の1となったことだった。社会主義政権誕生を警戒した財界から強力な後押しもあった。いわゆる55年体制のスタートである。

「反共」と「経済成長」で自民党は国民政党に

マルクス『資本論』がミュージカルに、中国で制作中

「反共」こそ、自民党の党是だった(ドイツの思想家 カール・マルクス)〔AFPBB News

 250万人以上の死者を出した戦争が終わってまだ10年。共産党の中国が建国され、朝鮮戦争が勃発するなど、東アジアでも冷戦が始まっていた。労働争議が相次ぎ、世情は安定していない。しかも若者の間ではマルクス主義が信奉されていた。

 保守陣営として新しくスタートを切った自民党の党是は、もちろん「反共」だった。

 その自民党を国民政党に大きく発展させたのは、池田勇人内閣による「所得倍増計画」以降の経済成長である。輸出で稼ぎ、地方にも均等に利益を配分する。国民総中流社会の出現である。もちろん政治は安定し、米国人・社会学者エズラ・ヴォーゲルが1979年に著した『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が世界中でベストセラーになるほど、目覚ましい経済成長を遂げた。自民党政治は永久に続くかに見えた。