米国の1世紀にわたるGDPの推移を見れば、それは、まさに揺るぎない成長の軌跡であった。むろん1920~30年代の大恐慌と第2次世界大戦は大波を形成しているし、70年代の減速も目で確認できる。しかし、例えば個々の産業の盛衰の歴史と比べると、おおまかなトレンドは紛れもなく安定成長している。

 いつの時代も鳴り止まない警鐘と悲観を超えて、米国経済の1人あたり実質所得は年率2%台で成長し、100年で7倍にまで達した。

 もちろん、世界のすべての国が安定した成長を享受できたわけではない。20世紀前半には比較的所得の高い国であったアルゼンチンやベネズエラは、所得ランキングの上位から消えてしまったし、60年頃には韓国と同程度だったフィリピンの所得は、30年あまりで韓国の3分の1になってしまった。

速やかな資本投入が生んだ高度経済成長

 災厄のような低成長に甘んじた国とうらはらに、8%もの高成長を謳歌した国々もあったことはご存じのとおりである。終戦後の日本や西ドイツ、70~80年代のNIEs(新興工業経済地域)、現代の中国などである。

 こうした高度成長が成し遂げられたのは、資本労働比率が高度化したことが大きな理由である。これらの国では労働力に対して資本量が相対的に不足していたので、資本のリターンが高かった。高いリターンは速やかな資本蓄積を促し、高度成長を達成した。

 やがて資本労働比率が先進国の水準に落ち着くにつれて、高度成長も通常の成長率に収束していった。この資本蓄積のメカニズムに、教育水準の高度化を考慮に入れれば、東アジア新興国の高度成長はだいたい説明がつくとされる。

成熟経済を成長させるカギは生産性の向上

 しかし、ある時点に達すると資本蓄積は飽和し、成長が止まってしまう。これが成熟経済の段階である。では、成熟経済を成長させる源泉となるものは何か。50年代に米国経済を調べたソローは、経済成長の大部分は「全要素生産性」の伸びに起因することを見いだした。

 日本で経済成長を維持するための政策として、資本蓄積の促進から生産性の向上へと重心が移ったのはこの事実による。日本経済は、70年代から成熟経済の段階に突入していた。成熟経済においては、生産性の上昇によってしか経済成長は期待できないのである。

 全要素生産性の伸びは、GDP成長率から労働投入増と資本投入増の寄与を除いた残差として定義される。言ってみれば、「その他すべて」の入ったゴミ箱である。全要素生産性が「われわれ(経済学者)の無知の指標」とも言われるゆえんである。

 そこで、生産性の中身、つまり「生産性を決定する要件」の探求が始まった。投入と産出の関係を規定するのが生産関数だが、いわば「生産性の生産関数」へと関心が移ったのである。

「教育」と「研究開発投資」が生産性を高める

 「生産性の生産関数」のインプットは何か? 真っ先に挙げられたのは「教育」と「研究開発投資」である。教育投資は労働の質を高める。研究開発投資はよりよい生産手段を開発する。