江戸時代の老中、水野忠邦は「天保の改革」と呼ばれる大胆な政策を断行した。その1つに未払い債権を全て無利子とした上、元金も20年返済で強制分割払いと規定したモラトリアムがある。ところが、資金回収に懸念を抱いた金貸しが貸し渋り、救済されるはずの武士がさらに困窮するという皮肉な結果を招いた。
当時の金融の仕組みを考えてみよう。給料をコメでもらう武士が、その証文である米手形を「札差」という一種の手形割引業者に持ち込むところから始まる。放漫財政に飢饉が加わり、幕府や藩の財政は破綻。給与の支払いが遅延すると、米手形の大幅割引で武士の生活は借金漬けに・・・。こうした中で、徳川幕府はその救済に腰を上げた。つまり、公務員給与が払えない「政府の都合」で行われたのである。
鳩山新政権下、亀井静香金融相が提唱した中小企業向け貸し出しのモラトリアムは、水野忠邦の政策に酷似している。日本でも過去には金融恐慌など非常時に限り、市場の混乱収束と決済業務の正常化を目的に短期間のモラトリアムが実施されているが、今回はそうしたものとは性格を異にする。
なぜなら、中小企業の資金繰り支援は所得再分配を目的とする財政の仕事であり、資本の効率的利用を目指す金融業の役目ではないためだ。手許に中小企業を助ける資金(=税金)がないから、それを民間資金で行うというのは明らかに「政府の都合」でしかない。
一般預金者が銀行に預けている資金の運用方法を政府が規定するならば、それは「金融社会主義」の極地である。そうした大きな思想的問題を別にしても、今回のモラトリアム構想は多くの危険をはらんでいる。
まず、亀井金融相は政府にカネがないことを吐露してしまった。それでも国債金利の急騰や円暴落が起きないのは、市場が「実現性がない」と見透かしているのかもしれないが、本来は極めて慎重に対応すべき事柄だ。
次に、金融機関がどのような行動に出るのかについて思慮が足りない。天保の改革の教訓が示すように、そのような不採算で危険な貸し出しには金融機関が慎重になるから、逆に貸し渋りを招いてしまう。銀行は預金者から安全で効率的な資金運用を任されているという大原則を、理解していないと言わざるを得ない。
中小企業支援の「常道」、「保証」と「モンスターオペ」
実は、中小企業に対する金融面からの「常道」と言うべき対策は既に随分と実施済みなのだ。金融危機を受けて、保証協会による保証が全国で大掛かりに行われている。