近代の幕開けが生み出した人間の「孤立」

『悩む力』 姜尚中著、集英社、680円(税別)

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 本書の最大の特色は、夏目漱石とマックス・ウェーバーを登場させて、彼らが生きた時代と現代との共通点を明らかにしていることだ。

 彼らが生きた約100年前という時代は、ちょうど「近代」が幕開けする時だった。急激な社会の変化は、その中で生きている一人ひとりの人間を決定的に「孤立」させることになった。そのまっただ中に身を置いた漱石とウェーバーは、やはり変化することを迫られ、現代の日本人と同様の悩みを抱えていたと指摘する。

 だが、2人の生き方は読者に救いの道筋を示してくれるわけではない。本書を読んで、多くの読者は思うはずだ。漱石もウェーバーも、結局、悩みを解決できなかったではないかと。

 「漱石とウェーバーが生きていたのは、現代をもっと極端にしたような時代。その中で漱石もウェーバーもノイローゼになってしまった。

 では、なぜこの本であえて漱石やウェーバーを登場させたのか。それは、人を大切にして、適正な利潤が生み出されて、誰もが食べていけて、そして企業も個人も家計も持続可能な社会、これに戻りましょうよということなんです。

 つまり、漱石やウェーバーが何度も言っているような “身の丈に合った社会”。しっかりと地に足をつけて、もう一度そういった社会を目指すべきなのではないかという思いが私の根底にあるのです。

 米国の金融破綻をきっかけに、世界経済が大きく揺らいでいます。今回の出来事は、資本主義のコアにある価値観や人間観、それから社会観、生き方などをすべて見直し、考え直すいい機会だと思う。今こそ、資本主義の新しいモデルを作るべきなんです。

 それはもしかしたら日本から出てくるかもしれない。日本は米国に比べれば、金融危機はさほど痛手ではありません。まだファンダメンタルもいい。だからこそ日本にはチャンスがある。日本のお家芸はやはり製造業ですよね。今後の日本が目指すべき方向は、やはりもう一回、本業に戻っていくことなんじゃないですか。それが日本にとって “身の丈” でいくことなんだと思います」

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漱石、ウェーバーと並ぶ重要な登場人物

 『悩む力』は、姜尚中という政治学者が、今の日本が置かれている状況を生活者の眼で観察し、政治改革、社会改革の必要性を唱えた本として読むことができる。

 読者がこの本の中で、自らの悩みを解決する糸口を探すとしたら、漱石とウェーバーよりも、むしろ別の登場人物に求めるべきだと思う。それは姜氏の母親である。

 在日1世だった姜氏の母親は日本の厳しい社会環境の中に身を置きながら、伝統的な習慣と信仰心を失わずに生きていた。その生きざまは姜氏の目には「幸せ」なものだったと映る。姜氏の母親の中にこそ、「孤立」しない生き方を実現する大きなヒントがあると感じた。