7月の暑い一日、京都・木津川にある松下資料館を訪れる機会があった。同資料館は松下幸之助生誕100年を記念して、1994年に建設された「幸之助記念館」である。3階建ての静かな館内には、彼の経営道、経営者・リーダーの条件、人材育成の考え方、人生の生き方などについての資料など5万点が集められ、「幸之助哲学」が分かるようにパネルで展示されている。
展示を眺めながら改めて驚かされるのは、幸之助の考え方の新鮮さである。
会社は何のために存在しているのか
例えば、「不景気は商売の師匠」として、「不況のときこそ、新しいものが生まれ、人が育つ」と言い切っている。「不景気にほんとうに成長する。不景気は会社に困るが、見方を変えれば、こういうときにもの言えば頭に入る。なすべきことに気付き、非常に自力がつく」
館長の川越森雄氏によれば、幸之助には「経営の師」はいなかったそうだ。幸之助にほれ込み、自宅にいわば押しかけて二十数年起居をともにした真言宗僧侶・加藤大観からは生き方については深く影響を受けた。が、会社経営については「衆知を集める、というのが幸之助の考え方。だからたくさんの人から話を聞いて、自分で考え方をまとめていった」という。
それにしても、小学校を4年で中退し、丁稚奉公に出され、11歳で父も亡くしてしまった少年がその後、小さな会社を創業し、その会社をグローバル企業にまで成長させることができたのは何故か。
「経営道」についてのパネル展示の中に「昭和2年ごろ、T型フォードを開発したフォードの伝記を読み、彼の社会発展に貢献しようという強い使命感に深い感銘を受けた」という記述があった。「この会社は何のために存在しているのか、常にそのことが頭にあった」と本人から直接薫陶を受けた川越氏は言う。
幸之助を突き動かしていったエネルギーは、やはり企業と社会の関係性に対する考え方の中にあったのではないか。
ユニクロが求めるのは「その人の能力」だけ
その幸之助を、経営学者のピーター・ドラッカーとともに「経営の師」と呼んでいるのが、世界的な大不況の中でも「ユニクロ」の事業を飛躍的に成長させているファーストリテイリングの柳井正会長兼社長だ。80年代半ば、ユニクロ1号店を広島に開店したころから幸之助の著書を読み始めた、という。