米国では「二刀流は打撃を削るのか」「史上最高の称号に必要な積み上げは何か」とシーズンにおける議論が先回りして紛糾し、日本ではWBCで侍ジャパンの世界一連覇に臨む「代表の顔」としての責任が増す。

 称賛と注文が同時に膨らむ時、選手に残される逃げ道は一つしかない。沈黙ではなく、手順で黙らせることだ。

2月21日、アリゾナ州のテンピ・ディアブロ・スタジアムで行われたカクタス・リーグ(オープン戦)に出場した大谷翔平(写真:Creative 2/アフロ)

 大谷が次のWBCで打者専念を選んだのは、負担を減らすためだけではない。二刀流復帰という「長期的戦い」を勝ち抜くための、いわば“配置転換”である。だがその決断が逆に「投げないのに投手調整を続ける」という、国際大会特有の綱渡りも生む。

WBCのマウンドには上がらなくとも逃れられない「投手としての勝負」

 アリゾナから侍ジャパンに合流するため、大谷は近日中にも一時帰国。そこから3月上旬にかけて打者としてのピークを合わせながら、投手としての土台も崩さない。

 外から見れば、またしても「常識外れ」の挑戦に映るだろう。だが本質は反対だ。

 唯一無二の天才だからではなく、全く異なる二つのステージを同時に成立させるために、常識外れの段取りが必要になっている――。ただそれだけである。

 WBCは「世界一の称号」を争う真剣勝負の国際大会であると同時に、見えないところでシーズンへ向けた準備の時計も容赦なく進めている特殊な舞台でもある。

 大谷は今回、マウンドに上がらない。それでも二刀流スーパースターの春は、投手としての勝負から逃げられない。グラウンド外の「困難」とは、つまりその一点だ。

 投げない選択が、投げる未来をより重くする。二刀流を生きる者にだけ訪れる“逆説の試練”が始まろうとしている。