ここで「保険」が再び顔を出す。保険引受の審査は、負傷歴や手術歴だけで機械的に線を引くものではない。年間の投球負荷や登板間隔、球数の推移、季節の終盤に負荷が集中していないか。短期決戦での“追加負担”がどれほどか――。これら網の目のように細かい項目を審査材料として扱う可能性は十分にある。

 そして水面下では、より生々しい見方がささやかれている。山本についてWBCで一定の登板イニング数(あるいは投球負荷)を超えた場合、保険の適用範囲から外れる恐れがあるのではないか――というものだ。

プエルトリコは保険問題で出場辞退も

 表向きに明文化されたルールが示されていない以上、断定は避けるべきだが、少なくとも「制限付き」の議論が現実味を帯びる土壌は整っている。昨年のレギュラーシーズンをロングランで投げ抜き、ポストシーズンでも稼働し続け、頂点の舞台で大きな負荷を背負った山本に対し、果たして保険会社側が無制限の稼働を想定するのか。現実には、そこに慎重さが入り込む余地がある。

 侍ジャパンの編成にとって厄介なのは、ここが「投げられる・投げられない」の二択ではない点である。登板自体は許容されても、登板間隔が空く。球数が抑えられる。登板回数が限定される。場合によっては、投球回の総量に“見えない天井”が設けられる――。このような起用計画が、大会期間中の最初から最後まで連鎖しているのは言うまでもないだろう。

 先発が短い回で降りれば、中継ぎの登板は増大する。救援陣が疲弊すれば、終盤の勝負が崩れる。短期決戦に臨む侍ジャパンにとって、投手運用の最適化そのものが勝敗を決めるのは自明の理だ。

 大谷の登板回避が「一枚のカードを失う話」だとすれば、山本の投球制限問題は「デッキ全体の組み替えを迫られる話」になり得る。しかも厄介なのは、条件が公になりにくいことである。保険の審査や適用範囲は、当事者間の合意と守秘の影響を受けやすい。何かと外からは、見えにくいのだ。可視化されていないがゆえに、現場は最悪のケースを想定しながら準備を進めるしかない。

 国際大会の「看板」になれる投手が、実際には“目盛り付き”で扱われる。結果として生じるのは、戦力ダウン以上の空気だ。ファンもメディアも「なぜ全力で出られないのか」という疑問を抱えたまま試合を迎える。勝敗とは別のところで熱量が削がれていく。必要であることは理解されても保険が競技の根幹を揺らし始めた瞬間、WBCは“国際大会の顔”を保ちにくくなる。

 保険問題が個別の起用論を超えた局面に達していることを、最も端的に示したのがプエルトリコ代表の動きだ。同国野球連盟のホセ・キレス会長は、主力選手が相次いで保険適用外と判断された現状を受け、WBCからの撤退を検討していると明かした。

 影響は深刻である。プエルトリコ代表チームで主将を務める予定だったフランシスコ・リンドア(ニューヨーク・メッツ)やカルロス・コレア(ヒューストン・アストロズ)をはじめ、複数の中心選手が出場を断念した。保険が認可されない限り、WBC期間中の負傷による欠場は年俸補償の対象外となり、球団がリスクを負う構図は変わらない。キレス会長は「スター選手に許可が出ない大会に参加するのは不公平だ」と不満を隠さず、「時間を無駄にするな」とまで踏み込んだ。

 プエルトリコは過去2大会で準優勝し、今大会も優勝候補と目されていた。母国開催の一次ラウンドを控えながら撤退論が浮上する異常事態は、保険が競技の前提条件として過度に前面化している現実を浮き彫りにする。出場可否が競技力ではなく審査結果に左右される以上、代表チームの編成は成立しにくい。