普通の共和党大統領でも攻撃的になる

 米国で起きていることはトランプのせいばかりではない。

 その証拠に、すでにジョージ・W・ブッシュ時代の米国は、その当時、そう呼ぶ人はほとんどいなかったが、「ルールに基づくリベラルな秩序」に苛立っていた。

 イラク侵攻の時は別としても、ブッシュは国際刑事裁判所(ICC)を極度に軽んじた。

 筆者は何もブッシュに苦言を呈しているわけではない。厳格なリベラルよりもっと左派寄りの、戯れ言のようなルールや仕組みは世界にたくさんあったし、今でもある。

 心の底から反共だったブッシュがそういった戯れ言の一部を信用しないのはもっともだった。

 それよりも重要なのは、杓子定規な世界秩序に対する米国の嫌悪感はトランプ以前にもあったということだ。そこには米国を苛立たせた構造的な何かがあるに違いなく、その何かとは国の衰退なのかもしれない。

 今世紀に入ってからの米国のパフォーマンスは、絶対的に見れば経済でもテクノロジーでも非常に素晴らしいため、相対的な衰退と言われてもイメージしにくいかもしれない。

 だが、衰えてきていることは間違いない。

 ここ数年は米国が制裁を発動しても限定的な効果しか得られないし、人工知能(AI)の開発でもほかの国を引き離すのに苦労している。

 中国が戦略的資産を手に入れようと西半球に手を伸ばす動きも見られる。中国との軍事力の差も、2000年代に入った頃のそれとは異なっている。

 こうした環境では、普通の共和党大統領でも――トランプほど向こう見ずではないとしても――攻撃的になっているはずだ。

地位低下への不安

 下向きの動きには常に警戒しなければいけない。生まれた時よりいい暮らしをしている人は、逆方向に動くことによるトラウマを理解し始めることができない。

 人は、その地位がわずかに低下するだけで動転することがある。絶対的にはまだ立派な地位を保っていても、だ。

 選挙で国家社会主義者(ナチス)に投票したのは、不景気の最中のインフレで貯蓄が目減りしたワイマール共和国の中間層であり、必ずしも貧困層ではなかった。

 地政学ではこれと全く同じプロセスが、これ以上ない規模で展開されている。

 ウクライナにおけるロシアの戦争がソビエト連邦崩壊後のロシアの地位低下に対する抵抗でなかったとしたら、あれは一体何なのだろうか。

 個人が重要であることには疑問をはさむ余地がない。

 実際、トランプのせいで筆者は歴史の偉人説(偉大な個人の働きで歴史は進歩するという説)を受け入れるようになった。だが、時間、人物、場所の違いを超えて成り立つパターンも存在するように思える。

 大国が衰退し、新たな地位に落ち着くまでに常軌を逸した行動を取らなかった例があるかどうか、筆者は寡聞にして知らない。

 トランプが取ってきた行動は、いずれにせよ生じていたかもしれず、つい最近も実際に起き、トランプが去った後も起きるだろう「何か」の極端なバージョンだ。