40歳まで帰らない? 乙女宛ての手紙ににじむ“期限付きの自由”

 龍馬を題材としたフィクションで必ず描かれるのが、姉の乙女である。1865(慶応元)年9月ごろに出したとされている手紙の中では、龍馬が「乙大姉 お仁王様」とふざけて書いているとおり、乙女は大女で武芸に優れており、その威圧感は仁王に匹敵するほどだったらしい。

「龍馬の生まれたまち記念館」(高知市)の中庭に坂本龍馬像(右)と並んで建てられた姉・乙女の像(2014年撮影、写真:共同通信社)

 姉の乙女とは、龍馬が脱藩してから後も手紙をやりとりしていた。脱藩してから1年後の1863(文久3)年、勝海舟の弟子になったばかりの頃には、こんな手紙を書いている。

「私は四十歳になるころまでには土佐の実家には帰らないようにするつもりです。権平兄さんとも相談いたしました所、この頃は大分とご機嫌がよろしくなり、その(海軍修行の)お許しが出ました」

 脱藩という一大決心をしながらも、それは40歳までという期限付きの自由だったことが分かる。そして、幕臣・勝海舟のもとで海軍修行をするにあたっても、しっかりと兄の許可をとっていた。しかも相手の機嫌までうかがっている。

 龍馬がそこまで気を使う「権平兄さん」とは、いかなる人物だったのだろうか。

坂本竜馬が姉の乙女に宛てた書状の一部(写真:共同通信社)