「百貫目」の遺産が語る、坂本家の桁違いの財力

 分家にあたって財産がどのように分配されたかは、1926(大正15)年に岩崎英重が編纂した『坂本竜馬関係文書第一』を紐解けば「其ニ 坂本家祖先財産」の項で明らかにされている。

 史料によると「現銀百貫目」の3割強が「郷士相続」とされている。郷士坂本家の初代、兼助直躬に相続された「百貫目」については、次のように記載されている。

〈当時坂本家の財産は莫大のものにて大凡そ百貫目に達し、即ち現今の十万円に近かりし如し。十万円とは今日余りの大金とは申し難きも、当時の物価に照しては確に今日の百万円の価値ありしならん〉

『坂本竜馬関係文書 第一』(岩崎英重編、日本史籍協会/1926年)

 1926(大正15)年時点で〈今日の百万円の価値ありしならん〉と記されていることから、『坂本龍馬』(松浦玲著、岩波新書/2008年発刊)では、〈いまの百億円にも当るだろうか〉と推測している。

 その3割強なので、莫大な金額が譲渡されていたことになる。郷士坂本家は藩の棒禄に頼っていなかったばかりか、藩に多額の献金をしていたというが、これだけ資産があれば、それも十分に可能だったのだろう。

 1853(嘉永6)年、18歳の龍馬は通っていた道場から「小栗流和兵法事目録」を得て、さらなる剣術修行のために江戸へ旅立つ。江戸から父に宛てた手紙では自分の近況を知らせながら、次のようにも書いている。

「金子を送りいただき、何より有難い品でございます」

 フィクションでは、龍馬が資産家の生まれだったと強調されることは少ない。それだと立身出世の物語として盛り上がらないからである。しかし、実際の坂本家には十分な資産があり、龍馬もまたその恩恵をしっかりと受けていたのであった。