サミュエル・ハンチントン(2002年7月2日撮影、写真:Basso CANNARSA/Opale/アフロ)
目次

(英フィナンシャル・タイムズ紙 2025年12月11日付)

 サミュエル・ハンチントンは2008年に死去する前に「ほら、私の言った通りだ」と語っていても、さほど異論は出なかったかもしれない。

 米国は当時、イラクとアフガニスタンでの作戦行動に何年間もどっぷり浸かっていた。

 西洋世界とイスラム世界の間でそのような暴力が振るわれていたことは、かつて世界をいくつかの文明に分類し、その文明同士がいずれ衝突すると予言したこのハーバード大学教授の説を裏付けているかに思われた。

 新しい千年紀に入ってからトラブルが続くと、「先見の明ある」という形容詞は教授の名前の一部のようになっていた。

ハンチントンは間違っていた

 タイミングのよい死などというものについて語るのは不躾だ。

 しかし、もしハンチントンが今日まで存命していたら、世界を読み誤ったという批判をたっぷりと、あの気の毒なフランシス・フクヤマと同じくらい被っていただろう。

 今日の重要な紛争は異なる文明の間ではなく、同じ文明の中で行われている。

 文明という言葉がこれほど流布することは(米国政府が欧州の「文明消滅」に言及している)、そしてこれほど役に立たなくなることはほとんどない。

 世界の紛争地域に目を向けてみよう。

 ウクライナでの戦争は「ロシア正教会」文明の内部で行われている。少なくともハンチントンの分類ではそうなる。

 中華人民共和国と台湾との関係が定期的に悪化することも1つの文化圏――ハンチントンはこれを中華文明圏と呼んだ――の内部で起きている。

 今日の地球上で最も破壊的な紛争の一つに数えられそうなスーダンの内戦は、正確に言えば宗教や文化の面でまとまった集団同士の戦いではない。

 戦闘員を外部から支援する勢力――例えば一方にアラブ首長国連邦(UAE)がつき、他方にエジプトがついている――の存在を考慮しても、この内戦は別個の文明間の争いではなく、ほぼイスラム圏内での争いだ。

 これらに比べれば、イスラエルとパレスチナの問題は文明間の衝突のように見えるが、ここは世界各地の紛争地域の典型から外れている。

 実際、この局所的な紛争を諸外国がこれほど気にかけている理由は、紛れもない文明間の紛争として理解(あるいは誤解)しやすいからではないかと筆者は考えている。

 これは「本来起こるべき」類いの紛争なのだ。