署名した「連立政権合意書」を報道陣に示す自民党の高市早苗総裁(右)と日本維新の会の吉村洋文代表(写真:共同通信社)
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(西田 亮介:日本大学危機管理学部教授、社会学者)

投票行動を読み切れなかったメディア

 高市早苗氏が衆議院本会議での首班指名選挙を経て、第104代内閣総理大臣に指名された。日本憲政史上初となる女性の総理大臣が誕生したことは、国内外で大きな注目を集めた。新政権発足直後の各社世論調査では、内閣支持率が70%前後という高い水準を記録した。これは、新政権に対する国民の期待感の表れであり、いわゆる「ご祝儀相場」の範囲内にあるとはいえ、幸先の良いスタートを切ったかたちだ。

 しかし、その足元は極めて不安定である。両院で過半数を持たない少数与党政権というのは、過去にほとんど類例がなく、政権基盤は極めて脆弱と言わざるを得ない。野党との高度で丁寧な政策調整が、法案一本を通すためにも不可欠となる。

 とりわけ閣外協力の立場をとる日本維新の会との関係は、政権の生命線となっている。来たる2026年の通常国会を乗り切ることは容易ではない。衆院が優越する予算の審議をしのぎ切ったとしても、法案審議が加速する後半国会までを睨めば、内閣不信任案の提出や重要法案の否決などをきっかけに、いつ解散総選挙に追い込まれてもおかしくないタイミングが幾つも想定される。

 まさに薄氷を踏むような政権運営が続くことは必至であり、高市政権の一挙手一投足が、今後の日本の政治の行方を占う上で大きな注目を集めている。

 ところで、本稿で取り上げてみたいのは、そうした政治権力と対峙し、その動きを監視・検証する責務を負うはずの、日本のメディアと報道が抱える深刻な問題である。

 2024年夏の東京都知事選挙における、主要メディアの予想を覆す石丸伸二前安芸高田市長の想定外の「健闘」、それに続く兵庫県知事選挙での既成政党が支援した候補の敗北という波乱、そして自公政権を追い込んだ衆議院総選挙、2025年の東京都議会議員選挙、参議院選挙という一連の大型選挙を経て、報道各社は軒並み、自らの報道姿勢が世論の動向を的確に捉えられていなかったのではないか、という厳しい自己批判に迫られた。

 旧来の選挙報道や情勢分析が、もはや有権者の投票行動を説明しきれない現実を突きつけられたのである。この反省から、各社は報道部門の刷新を掲げ、「新しい取り組み」を次々と表明するに至った。 

 各社の改革案を総合して見えてくるのは、大きく二つの柱である。

 一つは、公職選挙法の規定を過度に解釈せず、選挙運動期間中であっても候補者間の政策の違いや争点をより明確に報じる「踏み込んだ報道」の実践であり、もう一つは、ネット上に氾濫する偽情報や誤情報に対抗するための「ファクトチェック」の本格導入であった。

 公共放送であるNHKは、2025年の年初にいち早く包括的な改革方針を宣言し、これに毎日新聞社が追随した。朝日新聞社は、専門部署として編集局内に「ファクトチェック編集部」を新設し、迅速かつ専門的な検証体制をアピールした。読売新聞社もまた、日本新聞協会に加盟する他の新聞社と共同で、広域的なファクトチェック体制を構築するという壮大な構想を発表した。

 このように、各社ともそれぞれの形で、信頼回復に向けた様々な取り組みを展開し、現在進行形で「新しい報道」のあるべき姿を模索している最中にある。

 だが、果たしてその改革の成果を実感できた、あるいは現在も実感できている視聴者や読者が、一体どれだけいるのだろうか。例えばファクトチェックは、その理念自体は重要であるものの、チェックを実施する主体、すなわちメディア自身がそもそも信頼されていなければ、その検証結果が信頼されることはないだろうという、根本的なジレンマを抱えている。