10月18日のブルワーズとのリーグ優勝シリーズ第4戦で先発投手として7回途中まで被安打2、10奪三振、無失点と好投した後、7回裏の攻撃ではこの日、3本目となるホームランを放つ大谷翔平(写真:共同通信社)
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 今季のMLBは2年ぶりに復活した大谷翔平の「二刀流」に席巻されたと言えよう。

 NLCS(ナショナル・リーグ優勝決定シリーズ)第4戦で、大谷翔平は投げては100マイルの速球を連発し6回0/3を投げ、10奪三振、無失点で勝利投手。打っては3本塁打でブルワーズを下した。まさに「投打」において空前の活躍だった。

 MLBの長い歴史を振り返っても、こんな事例はただの一度もない。大谷翔平の「二刀流」の価値について、歴史を紐解いて検証してみよう。

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 野球は19世紀半ばにアメリカの東海岸で始まった。ブルーカラーの労働者たちがチームを作って各地を転戦する中で、リーグ戦が始まったのだ。

 この当時の野球では、投手は「下手投げ」で、打者が打ちやすいボールを投げていた。この時期の投手は、9人いる野手の一人にすぎなかった。

 1871年に今のメジャーリーグの前身であるナショナル・アソシエーションが発足するが、この時点ではまだ投手は下手投げだった。

 それが翌年、上からのスナップスローが認められた。これがポジションとしての「投手」の始まりと言ってよい。

 しかし、この時点で投手と他の野手の「差」はほとんどなかった。

 1872年の最多勝投手は、ボストン・レッドストッキングスのA.G.スポルディング。世界的なスポーツ用具メーカーの創業者でもあるスポルディングは、この年48試合に登板し38勝8敗、防御率1.85を記録したが、一方打者としては48試合で237打数84安打、打率.354をマークしている。この時代、投打「二刀流」は当たり前だったのだ。

スポーツ用品メーカー「スポルディング」の創始者としても知られるアルバート・グッドウィル・スポルディング(George Grantham Bain, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

 しかし徐々に投手は「専門的なポジション」になり、それとともに打者としての「貢献度」と「期待値」は低下していく。