しかし、「文春砲」という言葉がもてはやされだすのと同時に、松井にも変化が起きてきたのに気付きました。社長定年となる一年前の人事、つまり松井にとって最後の役員人事で、上司の命令に逆らったことのないような人物を登用し、社長の意図に反する意見を役員会で葬れる体制を作ったのです。新たに引き立てられた役員は、それまで松井が評価していなかった、消極的な仕事ぶりの人物です。役員会は、いわゆる松井側近の多数決により、松井が意のままに操れる構成になってしまいました。それまで役員人事は私や西川に相談して決めていたのですが、この時は一人で決定していました。
女性問題以外にも…
松井の専横は目に余るようになりました。
松井はもともと部下の好き嫌いが激しく、週刊誌のデスク時代には、自分の班のメンバーを毎年総とっかえするような状況でした。私は「あなたの部下への評価はある程度当たっていると思いますが、毎年全員交代させるとあなたの管理能力の方が疑われますよ」と諫言したこともあります。
しかし、結局、その好き嫌いの激しさは治りませんでした。社長になって人事権を握ると次長クラスの人事までひとりで決める始末です。明らかなパワハラや、労災申請した社員を降格させるなどといったこともあり、社内はさながら恐怖政治が行われているような状況でした。
さらに、文藝春秋の社風に反する行為もしだすようになりました。編集への介入です。文春は伝統的に編集長に編集権限があり、社長でも企画にストップをかけられませんでした。それが社の自由な雰囲気を形作っています。しかし彼は、雑誌に載る記事を土壇場でボツにしたり、目次や見出しに指示を出したりすることがたびたび見られるようになりました。
また松井時代の後半は出版不況ということもあり、経営的にはかなり苦戦していました。週刊文春は相変わらず「文春砲」をコンスタントに放っていましたが、収益にはさほど貢献していません。世の中には誤解も多いようですが、週刊誌が年に数号「完売」したとしても、利益はさほどではありません。むしろそれ以外の号は赤字か収支トントンがせいぜいです。
それでも出版社が週刊誌を発行し続けているのは、雑誌ジャーナリズムの灯を守ろうという意地や総合出版社としてのメンツに加え、週刊誌の連載小説や連載コラムを後に単行本化し会社全体として収支の帳尻を合わせるというビジネスモデルがあるからです。またスクープをとるには、それなりの人員と時間、コストが必要な場合がほとんどです。スクープを連発しているからその出版社は大儲けしているなどということはないのです。
そうした中、松井は、社長から会長になるためには、在任期間を黒字で締めくくる必要があると考えていたようで、黒字にするため、幹部社員全員の必要経費をいきなり前年度の半額にするよう命じました。無駄な経費は削られるべきですが、いきなり半額というのはあまりに無茶です。私も含め、社員の中には必要経費を自腹で払う者も現れる始末でした。