『ブロークバック・マウンテン』(2005) 写真/Everett Collection/アフロ
(田村 惠:脚本家)
洋画、邦画を問わず今日まで7000本以上、現在でも年間100〜150本の映画を観ているという、映画を知り尽くしている田村惠氏。誰もが知っている名作映画について、ベテラン脚本家ならではの深読みを紹介する連載です。
脚本に応じて自在に作風を変える
アン・リーという監督を一言で評するなら、空気のような人ではないかとぼくは思っている。と言っても、彼について多くを知っているわけではない。台湾出身で、アメリカの大学で映画を学んだという経歴と、これまでに鑑賞した、以下の作品を知るのみである。
『いつか晴れた日に』(1995年)……ジェーン・オースティンの小説が原作の、19世紀イギリスを舞台にした恋愛ドラマ。(ベルリン映画祭グランプリ)
『グリーン・デスティニー』(2000年)……ひと振りの名剣を巡って繰り広げられる中国の伝奇アクション。(アカデミー賞外国語映画賞)
『ブロークバック・マウンテン』(2005年)……2人のゲイの男性の純愛ドラマ。(ヴェネチア映画祭グランプリ/アカデミー賞監督賞)
『ビリー・リンの永遠の一日』(2016年)…イラク戦争でメディアによって英雄にされた青年を主人公に、戦争の真実を問うドラマ。
ぼくが観ていない作品も、ついでに並べてみると、
『ウェディング・バンケット』(1993年、ベルリン映画祭グランプリ)
『ラスト、コーション』(2007年、ヴェネチア映画祭グランプリ)
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(2012年、アカデミー賞監督賞)
まず、その受賞歴の華々しさに驚かされる。そして、それ以上に目を引かれるのが作品の多彩さである。これだけの実績を持つ監督であれば、作品間に共通するテーマとか、独自のカラーやスタイルといった個性が確立されてくるのが普通である。ところが、ここに挙げたアン・リー監督の7本の映画には共通する要素が殆ど無く、7人の別々の監督が撮ったと言っても通りそうなほどだ。
まるで無色透明、自分のスタイルにこだわらず、貰った脚本に応じてどのようにも作風を変えられる。——空気のような人とぼくが評したのは、そういう意味である。そして、こんなことを考えさせられたのは、『ブロークバック・マウンテン』という作品が、暫く頭からはなれないぐらい印象深かったせいだ。この映画は、同性愛者が性的倒錯者として蔑視されていた1960~70年代を背景としている。
牧童のイニス(ヒース・レジャー)は、ブロークバック・マウンテンに放牧されている羊の番人に、ジャックという男(ジェイク・ギレンホール)と共に雇われる。人里離れた山中に数カ月、2人きりの毎日である。寡黙なイニスも次第にジャックと親しくなるが、或る日、ジャックの誘いに抗し切れず体の関係まで結んでしまう。
山を降りた日、ジャックは翌年もブロークバック・マウンテンで再会することを望むが、イニスは気持ちが定まらず、自分は結婚するつもりだと答えて別れる。そして、その言葉通り、イニスはアルマ(ミシェル・ウィリアムズ)と結婚し、2人の娘をもうける。一方、ジャックもロデオの大会を巡るうちに富商の娘ラリーン(アン・ハサウェイ)と知り合い、結婚して一児の父親になる。
こうして、2人は別々に4年の歳月を送るが、ジャックはイニスのことが忘れられず、テキサスから遥々訪ねて行く。イニスも思いは同じであった。ジャックと顔を合わせた瞬間、イニスは感情を抑えることが出来ず、玄関脇で激しく彼と抱き合う。そして、その光景を目撃したアルマは、数年後、夫の不倫相手が男であるという屈辱に耐え切れず、イニスと離婚する。ジャックは独り身になったイニスに、テキサスに移住して一緒に暮そうと持ちかける。
しかし、イニスは頑なに拒絶する。彼は子供の頃、殺されたゲイの死体の前に連れて行かれ、同性愛は恥ずべき悪徳であり、見つかれば容赦のない制裁を受けるということを、父親から厳しく教えられていたのだ。イニスにとってジャックは最高のパートナーであると同時に、愛することが許されない人だったのである。
