初代ロードスターで100km走行した。走ると、街の色合いの一瞬で変わるような雰囲気がある(写真:筆者撮影)
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「まずは、“NA”にしっかり乗ってみよう」。そう思い立ち、マツダR&D横浜(神奈川県横浜市神奈川区)を訪れた。「NA」とはマツダの初代「ロードスター」のことである。現行モデルである4世代目(ND)に至るロードスターの歴史を再認識しようという試みだ。NA、NB、NC、そしてNDへと8日間で乗り継ぐという筆者の発想であるが、本稿ではNAに焦点を絞ってロードスターの歴史を紐解いてみたい。

(桃田 健史:自動車ジャーナリスト)

ロードスター誕生のきっかけは「プラザ合意」

 まずは、ロードスター誕生の背景を「マツダ百年史 正史編」をもとに見ていこう。

 国内における初代ロードスターの正式名称は、ユーノス「ロードスター」という。マツダは国内販売の拡大を目指し、1988年3月に事業計画「B10計画」を策定。

 当時、マツダの商品構成は「ファミリア」「カペラ」「ルーチェ」であったが、1985年9月の米ニューヨークのプラザホテルで開催された主要国蔵相・中央銀行総裁会議(いわゆるプラザ合意)を機に、急激に円高が進行し、マツダのアメリカ輸出での収益が一気に悪化した。

 そのため、国内販売網の大変革や、ブランド価値の再構築を目指すB10計画が実行に移され、国内販路5チャネル化が決定した。

「マツダ」「マツダオート(のちのアンフィニ)」に加えて、その時点では事業連携の関係にあった米フォードの車両を中心に扱う「オートラマ」、軽自動車を中心とする「オートザム」、そしてプレミアム路線の「ユーノス」の5チャネルだ。

歴代モデルの中でも人気の高いNA

 ユーノスは1989年(平成元年)9月、全国106車133店舗で展開を開始した。

「欧州文化と日本文化の融合」を掲げたことから、仏シトロエンも扱ったが、アメリカのシカゴショーで発表して北米で先行発売されたロードスター(北米名、マツダ「MX-5 Miata(ミアータ)」)が大人気となった。

 今回の取材をうけて、マツダ本社から提供してもらったデータによれば、2024年12月時点でNAからND(現行車)までの累積販売台数は、グローバルで約122万台。日本向けは約23万台で、そのうちNAが約11万台と約半数を占めるほど、歴代モデルの中でNAの人気が高いことが分かる。

 では、話を今回のNA試乗に戻そう。